2021/03/01

興国寺(福岡県福智町)前編

 

足利尊氏ゆかりの寺

「足利尊氏が、

九州に逃げて来た時、

匿ってもらった福智町の

興国寺に行ってみたい!」

そう妻に言われました。

言われたからには、

即、行くしかありません(笑)

とういうわけで、

多々良浜古戦場に続き、

足利尊氏ゆかりの地へ。

本堂へ

僕たちの自宅から車で

わずか1時間ほどで、

足利尊氏が身を潜めた

お寺に行けるなんて、

思った以上に恵まれた環境で

暮らしている事を改めて実感(笑)

興国寺は、

町の少し奥まった場所にあり

これが、尊氏の時代だと、

恐らく鬱蒼と茂った

森の中だったのかも知れません。

そういった観点からして、

隠れ家にするには、

格好の場所だったのでしょう。

駐車場から少し歩くと

立派な山門があります。

興国寺案内。

超訳すると

「お寺を中興(復活させた)したのは、

豊後国主、大友氏の帰依を受けた

無隠元晦(むいんげんかい)禅師で、

後醍醐天皇は、彼に対し、

綸旨と紫衣を賜った。

また、足利尊氏は、

土地三百貫を寄付、安國寺とした。

時は過ぎ、

応仁の乱後、荒廃した寺を

再度復興したのは、

大内義隆で、彼は諸堂を再建し、

長州大寧寺十世永扶を住寺とし、

寺号を興国寺と改称、

曹洞宗に改めた。」

このようになります。

山門をくぐって境内へ。

古い石橋。

橋桁石は一箇所ですが、

よくぞ壊れないものですね。

石橋の左側は池ですが、

案内によると、

ここは内堀だったと書かれていますので、

やはり防御施設として

重要な場所だったのでしょう。

鐘楼(物見櫓)。

この石垣、只者では無いぞ(笑)

石橋を渡って本堂へ。

手入れの行き届いた庭。

先ずは、

本堂前のお地蔵様にご挨拶。

参拝。

屋根を見ると小笠原家の家紋、

三階菱の寺紋があしらわれ、

やはり、藩主と寺社の関係は、

令和の今になっても続いているようです。

扁額の興国寺の文字、

なかなか味があるな~

なんて思うヒマもなく、

扁額両脇の

「力士」に注目してしまいました。

精一杯支えています(笑)

左側の力士。

ちょっとしたデザインで、

参拝客はこんなにも

感激出来るのですね。

(僕たちだけ?笑)

興国寺仏殿(観音堂)

興国寺の見所はいくつもありますが、

その一つが、観音堂と呼ばれる仏殿です。

案内。

要約してみると、

「享保四年(1719)築造で、

内部の逗子には、

南北朝時代に造像された

千手観音像が安置されています。

「尊氏の守り本尊」との説もある

千手観音像は、無隠元晦禅師が、

京都から招いたものと

伝えられています。」

このようになります。

斜め前から見た観音堂。

正面。

観音佛殿建立の石碑。

側面には、享保四年の文字も

はっきりと残っています。

観音堂での参拝を終え、

ここでツーショット完了。

しかし、

興国寺の散策はまだまだ半ばです(笑)

(後編に続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください