2018/07/03

島根県立古代出雲歴史博物館(島根県出雲市)前編

 

恵みの雨

「あいにくの雨」、「雨に祟られた」、

今回の出雲旅行の一日目を

世間一般、普通に表現すれば、

こんな感じになるのでしょう。

しかし、雨が降るという現実を

どう捉えるかで、苦々しい雨も

有り難〜い、恵みの雨に

変わるというのは、

間違いない話しでもあります。

僕たちは数多く旅をしてきましたが、

雨に降られる事はほとんど

ありませんでした。

なので、いつも

「雨が降ったらどうしよう?」

とあまり考えることもなく、

幸せな日々を過ごして来たのです(笑)

ところが出雲一泊二日の旅の

一日目は、朝からずっと雨。

この日、予定していたのは、

出雲大社、日御碕神社、須我神社、

宍道湖からの夕陽、こんな感じでした。

まあ、夕陽を見るどころか、

傘をさしての神社参拝でさえなかなか

ままならない雨の状況です。

以前の僕ならば、「予定は予定だから」

と何も考えずにそのまま巡っていたかも

知れませんが、妻のフレキシブルさに

かなり洗脳(笑)された今の僕は、

雨なら「雨の日だからこそ楽しめる」

「雨の日でも晴れの日でも関係ない」

そんな場所を探してみました。

そうです、当初の予定は、一旦白紙に戻し、

「雨の日バージョン」の

予定を作ったのです。

そして、白紙撤回し、

新たに予定を組み替えたことで、

当初予定していた旅よりも

恐らく、数段中味が濃い旅になった事は、

実際に二日間旅をして身にしみました。

「チャンスはピンチの顔をしてやって来る」

なんて、企業の経営では言われますが、

まさに「雨」というピンチが、

「中味の濃い旅」への

大チャンスだった訳です。

その変更先、第一弾が、

出雲市が世界に誇る(多分)

「島根県立古代出雲歴史博物館」です。

ここには、国宝の銅剣、銅鐸、銅矛など

400点以上もの展示をはじめ、

古代出雲史や出雲大社の歴史、

出土品展示などが多くあり、

しかも国宝をはじめ、その殆どは、

写真撮影OKなのです。

ネット情報で事前に調べてはいましたが、

行って、体験してみると、

本当に雨が降って良かった〜!

と思えるほどの充実した内容に、

驚き、喜んだ僕たちでした。

島根県立古代出雲歴史博物館へ

福岡を早朝4時半に車で出発、

家から3分の所にある

古賀インターから九州自動車道に入り、

山口の美祢東インターで降り、

あとは一般道と山陰自動車道の

無料区間(節約のため)のみを使い、

走ること約6時間、

出雲大社のすぐ隣にある

島根県立古代出雲歴史博物館に到着です。

雨が降らなければ、その存在さえ

全く知らなかった所(笑)

銅鐸っぽいロゴが素敵。

雨〜。

駐車場は有り難い事に「無料」(笑)

東側の入口。

ここの駐車場は、出雲大社参拝者も

停められるもので、

神社からかなり近い場所にあります。

いよいよ入場。

通常、610円の入場料も

JAFの割引があって、

団体料金の490円が適用され、

とってもラッキー!

入場すると目の前にあるのは、

こちらです。

出雲大社の発掘で発見された

宇豆柱(うずばしら)。

13世紀に造営された本殿の柱で、

三本を一束にして一本の柱にし、

今の本殿の倍くらいの

高さがあったそうです。

以前は、書物などにはその存在が

書かれていただけで、疑惑の渦中に

ありましたが(笑)、

1999年〜2001年の発掘調査で、

実際にこの柱が出現し、

その存在が裏付けられたものです。

800年位の月日は、

化石に近いような質感にも見えますね。

発見された現場の模型。

もっと掘れば、

かなり沢山の遺跡が出てきそう!

宇豆柱よりも太い、

心御柱と巫女さんの大きさ比較写真。

この柱は出雲大社の宝物殿で

見られるようです。

テーマ別展示室「出雲大社」に

入るとすぐに、この柱から推定された

本殿の模型が並べて展示されています。

何人かの学者さんが、

各自の見解で作った想像模型。

もっと前、10世紀ごろの本殿。

縮尺1/10で、これですから

相当な高さと大きさですね!

「雲太」(うんた)ともよばれる

高さ48mの出雲大社本殿。

当時日本一高い建造物だったそうです。

1/10の模型でも

その迫力には圧倒されます!

また、この横には、二つの出雲大社の

模型があります。

一つは豊臣秀頼が造営した、

慶長14年(1609年)の出雲大社。

神仏習合の色が濃い造りに

なっていて、お寺的な建物も

配置されています。

また、左の三重塔はこの造営の

80年ほど前、

当時の出雲地方の大名、

尼子経久が願主となって

大永5年(1525年)に建立されたもので、

これは今でも兵庫県にあります。

(移設のいきさつは後述)

今では無い、楼門もありますね。

次に、慶長期造営から60年ほど後、

江戸時代の寛文7年(1667年)

造営の模型。

豊臣秀頼が作ったもの、

豊臣家の遺構を全て

「否定」「抹殺」したいのが

徳川幕府(笑)

大阪城も完全に埋めてしまって、

豊臣秀吉の大阪城よりも

大規模な新しいものを建てたくらいですから、

出雲大社だって、ほっとけなかったのか、

それとも老朽化だったのか?

とにかく慶長期のものとは

ガラリと変わって、今の出雲大社に

かなり近いものになっています。

いや〜僕はこれを見て、

やはり大阪城を思い出しました。

大阪城と同じく、出雲大社も

徳川が作ったものは、

豊臣が作ったものよりも

全てにおいて、規模がデカいのです!

これが〜徳川のやり方か〜!

(懐かしいギャグ…笑)

現代の出雲大社の原型は、

まさしくこの時に出来上がっていますね!

そして、僕がここで注目したのが、

こちらの案内板。

尼子経久が1525年に造り、

豊臣秀頼造営の慶長期にもあった

三重塔が、現代にもそのまま残っていたのです。

それは、江戸時代の寛文造営の際、

本殿造営の木材を供出してもらった

お礼として、但馬国(兵庫県)の

お寺、(今は名草神社)にお礼として

贈ったもので、解体し、船に乗せ、

山奥まで運んで、また建てたという

その時の人夫には決してなりたくないと

思うほどの大事業だったのです。

徳川としては、慶長期にはあったけども

豊臣が作ったのではない三重塔だったから

移設を許可したのかも知れません。

もし、これが豊臣氏が作ったものだったら

きっと跡形も無く壊されていたでしょう。

いや〜凄い歴史を知ってしまった!

やっぱり雨が降ってラッキーでしたね(笑)

このコーナーだけでも

書く事が多過ぎ(汗)

そして、こんな模型もあります。

左が出雲大社の本殿。

右側の伊勢の外宮や

住吉大社の本殿などと同じ

縮尺で作られているので、

いかに出雲大社が大きいかがわかります。

こちらは昔の絵地図。

回りは田んぼだったんですね。

ここまででも、何と、

2600文字ほど書いてしまいました。

中味が濃い過ぎる

島根県立古代出雲歴史博物館、

いつになったら完結するのか、

つづきは、次回。

今日の妻のひと言

「あ〜雲と言う文字が

絵になっている〜」

と妻の声。

何のことかと言えば、

2階以上の建物で、1階に

神棚を置く時、その神棚の上の

天井には、神様の上には

何も無いですよという意味で、

「雲」という文字を貼っておきますが、

この本殿の模型に対しての「雲」は

雲の絵になっているというのです。

う〜ん

さすがの感性!

確かに青空には雲がたなびき

素晴らしい、「雲」の役目を

果たしていました!

 

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