真観寺(大阪府八尾市)三好長慶の墓
大切にされている感
武将たちのお墓は、
日光東照宮などの巨大なものから
石を積んだようなものまで、
かなりの違いがあります。
三好長慶のお墓は、
明らかに後者ですが、
「大切にされている感」では、
トップクラスでしょう。
今もなお三好長慶を慕う気持ちが、
あってこそのものかも知れません。
寺頭
お寺の側道に面して、
数台分の専用駐車場があります。
これで安心して参拝できますね(笑)
お寺の全景。
山門。
案内を抜粋すると
以下になります。
「応永元年(1394)
管領畠山尾張守満家の願いで、
叔父の南禅寺大業徳基禅師が開山した。
大坂夏の陣で伽藍が焼失したが
金地院崇伝が再興、
その後江戸時代に再び焼失した。
戦国時代の古文書、
徳川歴代将軍の朱印状があり、
境内には細川晴元の執事で
河内国ほか六カ国を支配していた
三好長慶の墓がある。」
本堂
こじんまりした境内なので、
山門くぐるとすぐに
本堂が見えています。
まずは手水舎へ。
ここで気になるのが手水鉢です。
「河州亀井村 眞觀寺
無畏殿 前水盤
元禄十四年」
おおよそこのように刻まれています。
西暦だと1701年、
あの「赤穂浪士」で有名な
「松の廊下事件」のあった年ですから
これは凄いものですね〜!
本堂へ。
参拝。
石の香炉には、
ご本尊の十一面観音の梵字、
キリークが刻まれています。
寺紋は「丸に二つ引き」。
三好長慶の墓
次にお墓へ。
歓迎感満載のエントランス。
鐘楼の右側、
お寺の隅にお墓はあります。
綺麗に整備された墓域。
案内を抜粋すると
以下になります。
「史跡 三好長慶墓 三好義継墓」
「三好長慶は戦国武将で
細川晴元の内衆として活躍。
永禄三年畠山高政を追放し
河内国の実権を握って畿内を制圧したが、
永禄七年(1564)病没。
真観寺で葬儀が行われた。
長義の甥義継は永禄六年
三好家の家督となるが、
天正元年(1573)
織田信長に攻められ自刃。
宝篋印塔の基礎部分は返花式で、
和泉砂岩を用いる。
いくつかの資料から
両者の墓と確定できる。」
まずは正面からお二人に参拝。
続いて、向かって右側、
「三好長慶」のお墓に参拝。
墓銘は
「永禄七甲子
聚光院殿大禅定門
七月初四日」。
次に左側「三好義継」のお墓に参拝。
墓銘は
「天正戴癸酉
般若院殿大禅定門
十一月十六日」
墓域の端に建つ十三重塔に参拝。
これは、お寺の創建に関わった
畠山満家の墓と言われているそうです。
十三重塔横には
御神木の切り株が
大切に祀れれています。
お墓と反対側の壁際に安置された
お地蔵様にもご挨拶。
最後はこれで(笑)参拝完了。
次はいよいよ三好長慶の居城、
飯盛城へと向かいます。