日光東照宮(日光市)奥社宝塔(御墓所)

 

霊廟の変遷

江戸幕府の将軍の中で、

豪華絢爛なお墓(霊廟)が造られたのは、

徳川家康と秀忠、家光の

初代からの三人だけ。

このうち江戸の増上寺に建てられた

秀忠の広大な台徳院霊廟は、

第二次大戦の空襲で焼けてしまい、

当時の建築物は、ほぼ無くなり、

秀忠のお墓も改葬されていますが、

家康と家光のお墓は、

日光にあった事も幸いし、

空襲にも遭わず、

江戸初期の荘厳な佇まいを

今に残しています。

また、

八代将軍吉宗から以降は、

新たな霊廟さえも造らず、

それまでに存在する霊廟に

「合祀」という形が

取られていて、

かなり質素なものになっていて、

霊廟(お墓)の変遷一つだけで、

四代将軍以降、急激に厳しくなった

江戸幕府の台所事情が、

理解できる気がしますね。

眠り猫

拝殿内で参拝した後は、

奥社宝塔へのエントランス、

坂下門手前の廻廊に彫られた

超有名な眠り猫へ。

入口。

ここも外国人観光客多し!

「眠猫」の案内。

「名工左甚五郎の作と伝わる。

江戸時代には正式には

将軍社参時にしか開かれなかった

坂下門の前に位置し、

家康公の御墓所に続く

奥社参道の入り口を護る。

裏側に2羽の雀の彫刻があるが、

牡丹の花咲く下に日の光を浴びて

子猫が安眠し雀が戯れる様子から、

強い者が弱い者を虐げることのない

共存共栄の平和な世の中を表現していると

考えられる。」

このように書かれています。

東廻廊、潜門の上に、

猫ちゃんが見えてきました!

眠り猫近影。

斜めからも撮影。

奥社参道

眠り猫を過ぎると、

ここからは奥社参道です。

坂下門をくぐって宝塔へ。

石垣は素晴らしい

切り込み接ぎで、

この参道は別名「石廊下」とも

呼ばれているそうです。

山からたくさん降りてきます(笑)

「奥社参道」

案内を書き出すと

以下になります。

「廻廊から奥社に至るまでの石段は

207あるが、

ここからの長い石段は

東照宮の見どころの一つ。

階段は一段ごとに一枚石が用いられ、

傾斜の部分の石柵は

笠も柱も土台も一枚の石を

くり抜いて作られている。

寒さの厳しい日光の冬の

凍て上がり防止を

考慮したものと思われる。」

まだまだ続く石段。

「東照公御遺訓」の紹介。

「「人の一生は重荷を負いて

遠き道を行くが如し。

急ぐべからず。」

御祭神徳川家康公が

生涯の経験の中から

身をもって示された尊い教え

「東照公御遺訓」の冒頭部分。

家康公の思想をまとめたものであり、

後世への指針である。」

このように書かれています。

ちなみに御遺訓の全文は、

次の通りです。

「人の一生は重荷を負うて

遠き道を行くがごとし。

急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。

こころに望みおこらば

困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、

負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

艱難辛苦かんなんしんくを乗り越え、

太平の世を作った家康さんならではの

身に染みるお言葉ですね。

奥社拝殿

207段の石段を登り切ると、

もうすぐ奥社拝殿です。

銅鳥居へ。

「重要文化財・奥社銅鳥居」

案内によると、

「創建当初は木造であったが

後に石造とされ、

慶安3年(1650)

唐銅製の鳥居となった。

鳥居と共に銅板で包まれている

御神号の扁額の文字は、

後水尾天皇の御宸筆を

象ったものである。」

このように書かれています。

文化財の案内。

「重要文化財・石狛犬」

以下、案内です。

「松平右衛門大夫正綱

秋元但馬守朝よりの寄進。

両者は家康公の遺臣であり

寛永造替の際に造営奉行を務めたことから、

特に奉納を許された。」

譜代大名の燈籠でさえ、

陽明門の外なのに、

家康さんのお墓のすぐ近くの

奥所拝殿前に

狛犬の配置がOKされたとは、

家光さんは、この二人への信任が、

よっぽど厚かったのでしょう。

阿形・横から。

吽形正面。

斜め横から二体一緒に。

奥社拝殿に到着。

まずは、

ここから家康さんに参拝。

「重要文化財 奥社拝殿」

案内は以下になります。

「御宝塔に参拝する為の社殿で、

将軍のみ昇殿参拝を許された。

建物全体が、黒漆が塗られた

銅や真鍮で包まれた毛彫が施されている。

奥社らしい落ち着きを見せた社殿である。」

奥社宝塔(御墓所)

参拝後、拝殿から宝塔へ。

ここからは右回りの一方通行です。

「重要文化財 唐門(鋳抜門)」

以下、案内です。

「慶安3年(1650)

鋳工椎名伊豫の作で

唐銅製(金・銀・銅の合金)。

扉以外の柱や梁などが

1つの鋳型で作られていることから

鋳抜門と称される。

当時の豪華な作風を示している。」

唐門(鋳抜門)

ズームで狛犬をアップ。

ただただ、

高級感しかありません!

そして、この裏には、

家康さんのお墓があります。

唐門と宝塔(御墓所)。

「重要文化財 奥社宝塔(御墓所)」

以下、案内です。

「御祭神徳川家康公の墓所。

昭和40年、

東照宮350年を機に公開された。

8角5段の石の基盤の上に

更に3段を青銅で鋳造し、

その上に宝塔を乗せている。

当初は木造、

その後石造に改められたが、

天和3年(1683)の地震で

破損したため、

鋳工椎名伊豫が制作した

現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に

造り替えられた。

塔の前には鶴の燭台、唐獅子の香炉、

花瓶からなる三具足が据えられている。」

当初の「木造」は秀忠さんが

東照宮を建立した時のもので、

やはりここでも家康さんの遺言に従い、

「質素」を実践していたのでしょう。

僕たちが宝塔に着いた時、

急に青空が広がってきて、

周囲の人も

「うわ〜青空になった〜!」

と歓声を上げていました。

家康さんが、

今ここにいる人たちを

歓迎してくれたのかな?

宝塔真後ろから。

家康さんはここからずっと

日本を見守ってくださっています。

沢山の人の波に押され、

なかなか立ち止まって

お参りできなかったのですが、

やっと(笑)

ここから二人して参拝が出来ました。

帰路

家康さんにお参りでき、

大満足の僕たちは、

石段を下りて、帰路へ。

ここから見ると

まさに石廊下ですね(笑)

坂下門。

金色の御社殿の屋根ばかりが

気になってしまい、

この先の眠り猫裏側の

雀ちゃんを見るのを忘れたのは、

ちょっと残念!

拝殿前にてツーショット。

これにて日光東照宮参拝は、

ようやく(笑)完了です。

 

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