宗栄寺(福岡市東区)
尼の名前が付いたお寺
宗栄寺の創建に関しての
案内を超訳すると
「島原の乱の折り、
黒田藩も鎮圧に参加、
黒田配下の一万石の武将、
岡田半左衛門利良とその子、
佐右衛門正興は鉄砲で撃たれ戦死。
利良の妻は二人を弔うため尼となり
宗栄と称し、
博多妙楽寺を再興し
父子を埋葬するとともに
遺品を名島の古塁の麓に納めて精舎を建て、
利良の家士手島半兵衛の次男で
比叡山で修行していた
心性坊俊道を招き開基とした。
これが宗栄寺である」
「明治の神仏分離で、お隣の
名島弁天社は名島神社となり
宗栄寺に弁天様を祭る」
このようになります。
尼になった妻・母の名前を冠したお寺とは、
全国にどれほどあるのでしょうか?
凄い妻であり母ですよ!
こんなに大切にされた夫と息子は、
ある意味、幸せなのかも知れません。
その宗栄が二人の為に
建立したお地蔵様が
今も境内に残っています。
宗栄寺地蔵尊。
案内には、
「夫子の戦死のとき着けていた
肌着、武具等を地下に収め、
上に地蔵尊を安置したのが此尊である。
地蔵尊の背に夫子の戦死のことが
刻まれている」
このような内容が書かれています。
優しいお顔の地蔵尊に参拝。
そして、
案内に従い背中を見ると・・・
確かに書かれています!
「寛永十五年(1638年)二月」、
「肥前高来郡有馬(現在の南島原市)」、
「生年三十七歳法名・・・」、「菩提」、
などの文字などもあり、
400年近く前に、
二人が亡くなった日の出来事と、
夫子への愛情と弔いの気持ちが、
目の前に蘇って来ます・・・。
参道
名島神社と通じる
宗栄寺裏口から入って、
反対側の参道入口まで行き、
そこから参拝開始です。
一の鳥居。
お寺ですが、鳥居があります。
石段で境内奥へ。
名島弁財天の説明。
「江戸時代には
名島弁財天と称しましたが、
明治維新の神仏分離により
名島神社と改称され、
弁財天は宗栄寺に
祭られるようになりました」
このように書かれています。
神仏分離あるあるですね(笑)
入口付近には、
祓戸社的に左右に社があり、
中には蛇が祭られています。
左側の社。
こちらも蛇(笑)
実は、ここ、蛇だらけのお寺で、
弁財天と、蛇は関係が深いようです。
文字が書かれている柱。
(名称がわかりません)
さらに奥へと進みます。
民謡顕彰碑。
ここにも蛇様。
弁財天像。
石像。
二の鳥居。
冒頭に書いた内容が記された案内。
手水舎。
本堂(拝殿)前。
拝殿というのか・・・
本堂というのか・・・。
中では熱心にお経をあげてる
参拝者がいらしゃったので、
鰐口も鳴らさず、
少し離れたところから参拝しました。
左側を通り裏側へ。
まるで神社の本殿のようです!
というか、完全に本殿ですね。
こんな造りをしたお寺は、
かなり珍しいのではないでしょうか。
境内社
お寺なのに境内社と書きたくなるのは、
「神社」的な要素が満載だから(笑)
毘沙門天。
三日恵比須神社。
ここにも弁天様(蛇様)。
弁財天の石像群。
蛇様もたくさんいらっしゃいますね!
最後にツーショットで〆。
宗栄寺、
夫子を思う女性の思いに感動し、
心に残るお寺になりました。