銀山地区散策(石見銀山)後編
脳内変換
石見銀山では「間歩」という言葉を
頻繁に耳にします。
この間歩と言うのは、
銀の採掘のための坑道のことで、
石見銀山には、600〜700ほどの
間歩があるそうです。
この間歩、聞くたびに、
どうしても「マブダチ」と
脳内変換されてしいます(笑)
龍源寺間歩へ
ガイドさんのお陰で、
めっちゃ充実した散策となり、
龍源寺間歩を目指します。
「ようこそ安養寺へ」。
歓迎されたにも関わらず、
先を急ぐガイドツアー御一行なので、
案内をチラ見しただけで参拝は無し。
この辺りに
石見銀山攻防戦が行われた
山吹城の大手門があったとか。
(ガイドさん談)
清水寺(せいすいじ)。
ここは帰りがけに
じっくり参拝しました。
銀山川の木橋を渡る妻。
銀山川の向こう側に見えるのは
「新切間歩」。
ここも帰りに再訪。
ここも間歩。
ズームして撮影。
420番目の間歩を示す、
「420」の数字は見えます。
「福神山間歩」。
案内を抜粋・要約すると
以下になります。
「この間歩(坑道)は、
採掘にあたった山師個人が経営した
「自分山」のものですが、一時期、
代官川崎市之進
(1767〜78)のころには、
代官所直営の「御直山」の坑道に
なったこともありました。
この間歩は説明板のある
道路の下2mほどのところを通って
銀山川の下をくぐり、
後ろにそびえる銀山の最高地点
「仙の山」の方向に掘り進んだと伝えられ、
「仙の山」の逆方向へ向かって
坑口が開いている珍しい間歩です。」
間歩番号463。
目指す龍源寺間歩までは
あと300m。
「高橋家」。
「国指定史跡
石見銀山御料銀山町年寄山組頭遺宅
高橋家」
案内を抜粋すると
以下になります。
「文献によれば天保十年(1839)ごろ
当家の高橋富三郎が町年寄山組頭を
勤めたことが分かっている。
山組頭は代官所と鉱山経営者である
山師たちとの取次などを勤める役職で
銀山師の中から選ばれた。」
そして、
ガイドさんがここには書かれていない
レア情報を教えてくれました。
それが、こちらです。
馬を繋ぐための石の穴。
これって、
江戸時代をめっちゃ感じられますね!
ここも間歩。
小さな人工的な穴も発見。
これが何なのか、
ガイドさんが説明してくれたけど、
忘れています(汗)
「466」間歩。
甘南備坑(かんなびこう)。
明治時代以降のものなので、
「間歩」の名称は、
使われなくなったそうです。
遂に龍源寺間歩に到着。