角田八幡神社(福岡県豊前市)
棟札
棟札とは、建物の新築や改築時に、
その記録として年月日や
大工の名前などを記して、
それを棟木などの高所に
取り付けた札の事ですが、
今回参拝した
角田(すだ)八幡神社には、
この棟札が10枚も残っています。
社頭に立つ棟札の案内。
今から700年以上前、
鎌倉時代の正応二年(1289)の
棟札が最も古く、
続いて、室町時代が二枚、
江戸時代が、七枚となっていて、
角田八幡神社の歴史を知る
大きな手掛かりとなっています。
こちらは神社の案内で、
ここでの紹介文は、
棟札の年代と一致するものが
多いのが特徴です。
「一、正応二年(1289)
源朝臣神殿再建
一、応永三十五年(1428)
馬場の城主蜂屋尾張守
願主となり神殿再建
一、天文二十年(1551)
社領として田六反五畝十五歩を献ず。
中八屋氏」
このように書かれていますので、
棟札の存在は、絶大ですね。
この後の角田八幡神社は、
戦国時代、大友氏に焼かれ、
社領を失うも、
(秀吉配下の)黒田氏の領地となり
社領を復活、
その後、江戸時代は
細川氏、小笠原氏にも
崇敬されて来たようです。
角田八幡神社へ
貴船神社から
角田八幡神社へ行く途中、
立ち寄ったのが、
「道の駅 豊前おこしかけ」です。
正直、トイレに行ったことしか
記憶にございません(汗)
この後、ナビを入れず
舐めた態度で運転していると(笑)
いきなり妻が雄叫びを!
「ここ左じゃない?」
そう言われて従って左折すると
見えてきたのは、
角田八幡神社の大鳥居です!
この大鳥居は、
神社のはるか手前にあったので、
撮影せずに通り過ぎましたが、
ほどなく行くと、
角田八幡神社が見えてきました。
妻のナイスな一言がなければ、
ず~っと真っ直ぐ走ってしまい、
もしかしたら参拝を
あきらめたかも知れません。
やはり「なめたらあかん~♪」ですね!
境内に車を置き、
参道の終点近くから参拝開始。
旧道なのでしょうか、
神社に沿って鳥居が建っています。
境内向かって右側から。
反対側からも撮影。
社頭。
鳥居の柱の前には
バス停があります。
その名は「宮前」。
確かに間違いありませんね(笑)
御社殿
バス停から(笑)境内へ。
神門。
屋根には江戸時代の藩主、
小笠原さんの家紋、
三階菱が目に飛び込んできます。
神門から見た拝殿。
手水舎。
手水舎とクスノキ。
慶應三年(1867)寄進の狛犬と
元治元年(1864)寄進の燈籠。
吽形。
拝殿へ。
拝殿前の倒立狛犬。
吽形はちんちんのポーズ。
拝殿の天井絵。
拝殿は神楽殿っぽい、
オープンな作りになっています。
無形民俗文化財となった
岩戸神楽の案内がありますので、
恐らく拝殿で神楽が
催されているのでしょう。
本殿に参拝。
屋根には燦然と輝く三階菱。
境内社
次に境内社へ。
本殿右側の境内社参道。
思い切り鳩胸の狛犬。
吽形も負けじと
鳩胸を膨らませています(笑)
左が祇園社、
右が生目(いくめ)神社。
生目神社の由来。
書き起こしてみると
「いつの頃か不明だが、
角田八幡宮の神官は
大変な徳を備えた人物であった。
海を渡ろうとすると、
海水が一気に引いて
陸になってしまったり、
裏を流れる角田川を渡ろうとすると
石が現れたり。
仙人のような人物だった。
ある日、地元の人々が、
崇拝している氏神、
角田八幡宮の御神体を
見せてほしいとお願いした。
神官も御神体はみたことがない。
一度自分も見てみたいと心が動いた。
そこで、恐るおそる本殿の扉を開いて見た。
その夜から神官の両眼はつぶれてしまった。
徳のある神官でも
さすがにバチが当たってしまった。
それでもあまりに徳のある人物、
このままでは可哀相だし不自由だろうと、
神様は片目だけをあけてくださった。
それからというもの、神官も、
神様に及ばないことを悟り、
村の人の為にさらに尽くすようになった。
神官が亡くなった後、
村人はこの小さな社殿を建てて祀った。
社は生目神社と呼ばれ、
目の病気に
ご利益があると伝えられています。」
このようになります。
僕の老眼も良くなれば
いいのですが・・・(笑)
最後にツーショットで〆。
角田八幡神社の参拝は、
これにて完了です。