多賀城(宮城県多賀城市)南門

 

ロゴ

多賀城創建1300年のロゴマークは

法人・個人の区別なく

PR目的ならば許可なく使える

フリー素材となっています。

素晴らしいロゴですね!

せっかくなので、

多賀城創建1300年の

記念すべき年の訪問として、

このブログでも使わせていただきました!

PRになるか否かは別として・・(汗)

多賀城南門なんもん

多賀城創建1300年の

象徴的行事として復元されたのが

多賀城の玄関口、南門です。

正式な公開予定は、

2025年(令和7年)4月ですが、

僕たちの訪問時には、

ほぼ完成形に近い状態で、

外観を大いに楽しませていただきました。

報道発表資料の中で、

素敵な一文を発見・・・

「多賀城の名は

「賀(よろこび)多き城」と

読むことができるように、

東北の安寧を願って

つくられた城と言われており、

宮城県の県名の由来の

一つと言われています。」

へ〜そうだったのか多賀城・・・

祝賀の「賀」、賀正の「賀」、慶賀の「賀」、

こんなめでたい文字「賀」が多くあるとは、

多賀城市に住んでいる人たち、

めっちゃ縁起いいと思います!

南門復元の進捗など。

全景を拡大。

多賀城碑を見た後に

すぐ近くの多賀城南門へ。

ダンプカーと多賀城南門のコラボ(笑)

築地塀は未完成ながら、

雰囲気はよく伝わってきますね!

政庁側を背にして北側から撮影。

案内によると

「第II期(奈良時代中期)の南門を復元。

本瓦葺き、入母屋造、礎石建物で、

基壇は東西約16m南北12m

桁行三間(10.5m)梁行二間(6.6m)

高さ約14.5m、

柱材は「クリ材主体」

このように書かれています。

ここでの注目はやはり

「クリ材」でしょう!

青森県の三内丸山遺跡で見た

約4000年前の

大型掘立柱建物や大型竪穴住居が

「クリ材」だったことを思い出し、

栗の木の耐久性・信頼性が、

時代を超えて

引き継がれている事への驚きと

栗の木への尊敬の念が湧いてきます。

斜め下の道路脇から撮影。

城前地区

南門から政庁に伸びる道路や

その周辺部も整備中ですが、

基本立ち入りは可能です。

案内図。

遊歩道の右横には、

政庁南大路下の

石垣が見えています。

本物は埋め戻したそうで、

こちらは立体復元の石垣です。

そして石垣の上に乗ると・・

ド〜ン!

幅13mの政庁へと続く道。

石垣で高さを出すのは、

排水対策と権威を見せつける為の

一石二鳥だったのでしょうか?

排水用の石組桝。

案内。

「これは路面に穴を掘って

石をつめた排水用の桝です。

雨水は道路側溝から

瓦を並べた暗渠をつたって

この桝に落とされ、

さらに地下に設けられた暗渠を通って

西側の低湿地へ排水されました。

ここから多賀城の

創建年代を裏付ける木簡などが

出土しました。」

ここで一旦、

南門方面を振り返って撮影。

この右側の小高い場所に、

城前地区と呼ばれる、

8世紀中頃の役所跡が広がっています。

城前地区全景。

この立体復元は、実に素晴らしい!

ここから地区内へ。

手前の新たな案内板は未完成ながら

立体復元自体はほぼ完成かな?

建物周囲には排水用の水路でしょうか、

見事なほど丁寧な造りです。

こちらの案内も鋭意準備中(笑)

礎石もあったのかな?

中心建物は屋根までの復元です。

道路脇(西側)の建物三棟。

道路とは反対側(東側)の建物。

南門とともに。

振り返って、

政庁南大路とともに。

政庁前の石段。

ここを上り詰めつると

遂に政庁跡となります。

(続く)

 

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