多聞山城(奈良市)

 

お城への愛

「戦後、文化財保護法も無い時代、

城跡はブルドーザーで切り開き、

若草中学校が建てられ、

ほぼ、お城の遺構は無し」

そんなガッカリな前評判の

多聞山城でしたから

正直、全く期待していませんでした。

「中学校の正門でも撮影しよう」

そんな気持ちが支配していたのです。

ところが、あにはからんや(笑)

実際に行ってみると、

そこでは地元のお城への愛を感じ、

遺構は少ないものの、

僕たちの心には刻み込まれた

まさに名城となったのです。

若草公民館

いつもお世話になっている

お城巡りのサイト、「攻城団」で

先人たちの情報を確認し、

まずは資料をいただきに、

多聞山城の手前に位置する

若草公民館へ。

建物の横には駐車場も完備。

そして、中へ・・・

ありました!

写真は一部を除きOKとの事ですが、

ここに全部を掲載するのは

憚られるので、そのほんの一部です。

地元の方々が調査、研究したその成果を

公民館の廊下中に

張り出してくださっています。

そんな訳で、僕は、ここを

「多聞山城資料館」と

勝手に命名しました(笑)

そして、希望者のみ購入できるのが

下記の冊子です。

元若草中学校教諭の方を中心に

「多聞城ファン倶楽部」の方々が

編集された「幻の城 多聞城」。

この冊子の素晴らしさは、

必ず「裏付け」となる

古文書とセットにして

文章が構成されているところで、

その真実性の追求にも頭が下がります。

実際のお城跡に行く前に、

僕たちが知らなかった、

松永久秀や多聞山城のことを

この一冊で知れたこと、

ただただ、感謝しかありません。

多聞山城

いよいよ多聞山城(若草中学校)へ。

泥がついたり、雨に濡れたり、

ボロボロになりながらも

僕たちの攻城を助けてくれたのは、

若草公民館でいただいた案内図です。

お陰で、思った以上に多くの

遺構を確認することができました。

校門横の多聞城跡案内板。

多聞山城は中学校の敷地ですので、

まずは正門でベルを鳴らす事に。

しかし、ベルが見当たらないし、

門が開いているので、

このまま車で侵入(笑)

とりあえず車を停め、

ここから階段で校舎へ。

多聞城跡の石碑のみが、

「ここがお城だった」証のようですね。

その後、校舎に入って

職員室の先生に

城跡を見せて頂きたいと話したところ

「校内どこでも自由にご覧ください、

車も階段下に停めたままで

大丈夫ですよ~」

そんな優し~い一言が!!

お言葉に甘えさせていただき散策へ。

土塁。

土塁を正面から撮影。

堀切跡。

妻がここを見た途端に

「あ~これ、堀切じゃない!?」

そう雄叫びをあげたのには、

「さすが戦国好きだ~」

なんて感心してしまいました(笑)

そして、案内図には、

校舎裏側の目立たない場所に

もう一つ土塁があると記されていたので、

そちらにも行ってみました。

お~見事な土塁が残っていますね。

実はここで鹿と出会ったのですが、

撮影前に何処へと

消えてしまいました・・・

土塁のてっぺんを歩いてみると

山になっているのが、よく分かります。

妻と二人して、ここでも感動!

墓石・石塔

校舎周辺の散策を終え、

車を停めた階段下に戻った時、

妻が見つけたのが、こちらです。

無数の墓石、石塔、五輪塔など。

このような石碑もあります。

前述した「幻の城 多聞城」によると

「多聞城築城に使った大量の

墓石・石塔類が出土しました。

埋葬された年月日が

刻まれた在銘墓碑のいずれもが、

多聞城築城開始の

永禄年代より古い時代のものだった」

このように書かれています。

ここにある石塔などは、

それらを集めた

ものだったのですね。

ここに導いてくれたお礼と、

鎮魂のためにお参りした後、

ふっと、遠くを見てみるとこんな景色が。

お~東大寺の大仏殿だ~!

もやの中に浮かぶ姿、

カッコいいな~(笑)

そして、少し右を見ると・・・

興福寺の五重塔ですよ!

松永久秀がここにお城を築いた理由は、

巨大な二つのお寺に

睨みをきかせる意図があったことを実感。

多くのエピソードが残った

多聞山城の散策は

これで完了です。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください