東大寺・転害門(奈良市)

 

幸運の門

平安時代末期と、戦国時代、

二度の大きな戦禍を

かいくぐって今に残る奈良時代の遺構、

それが東大寺転害門です。

多くの伽藍が焼け落ちても、

令和の今に残っているのは、

「幸運」としか表現が出来ませんね。

そんな幸運の門は、

1567年、東大寺で陣を敷く

三好三人衆との戦いで

松永久秀が布陣した場所ですが、

僕はこの事実を知りませんでした。。

ところが雨が降ったお陰で、

幸運にも

転害門への訪問が出来たのです。

やはり、「幸運の門」のご利益は

絶大だったんですね(笑)

佐保川天満宮

転害門へ歩いていく途中、

道路に面して鎮座しているのが、

佐保川天満宮です。

参拝しようとしたものの、

門が閉まって入れません・・・。

執念で(笑)扉の隙間から参拝。

案内。

「眉間寺山(多聞山)に祀り、

山の守護神として・・・」

「多聞城築城をした前後に、

(中略)この地に移され・・・」

こんな案内文からすると、

眉間寺の鎮守神として

存在していたのかも知れませんね。

転害門近くまで行くと、

この日、弁当を買って食べた

お店の前を通りがかったので、

思い出に残しておこうと撮影。

「ビッグ・ナラ」さん、

安くて美味しくて

ボリュームたっぷりの弁当をありがとう!

転害門へ

ビッグ・ナラまで歩けば、

転害門はもうすぐそこです。

転害門前の案内板。

「奈良市きたまち転害門観光案内所」

このすぐ右側が転害門です。

「史跡 東大寺旧境内」の石碑と案内。

転害門全景。

まずは、

転害門向かって左横にいらっしゃる

お地蔵様たちにご挨拶。

ここに僕たちを導いてくださったのは、

このお地蔵様たちでしょう。

お地蔵様と転害門。

「轉害門」の案内。

転は旧字体の轉と書かれていますが、

ここでは「転」と書いていきます。

「東大寺伽藍における

天平時代の唯一の遺構で、

その雄大な姿は創建時の建築を

想像させるに十分である。

この門は当寺鎮守八幡宮

(手向山八幡宮)の祭礼が行われて

遷座の場所となり重要視されてきた。」

こんな案内板を読んでいたら、

「転害門観光案内所」の

ボランティアの方がやってきて、

「少しご説明しましょうか?」

と言いながら案内を渡してくれたので、

お言葉に甘えました。

いただいた印刷物。

ちょっとよれよれの感じですね。

雨の中、片手に持ちながら

説明を聞いていた痕跡が残っています。

これも思い出の一つでしょう(笑)

説明いただいた中で、

一番感動したのは、

転害門の正面右端に一本残っている、

「奈良時代のままの柱」です。

こちらが、その柱です。

その他のものは、メンテナンスのために

昭和を含め、幾つもの時代で

新しいものに取り替えられていますが、

この節くれだった、見るからに古い柱は、

1300年間、

ずっと現役を通しているそうで、

まるで仏の力が柱に

乗り移ったかのような気もします。

そして、次は、この注連縄の意味です。

お寺なのに注連縄?

そう思いますが、

案内にもあったように

ここは鎮守八幡宮

(現在の手向山八幡宮)の

御旅所であるいうことで、

注連縄も張ってあるそうです。

神輿安置の小礎四個も確認。

次に感動したのが、

盃状穴(はいじょうけつ)。

たくさんある盃状穴、

いただいた印刷物には、

「鎌倉時代、

人為的に施された痕跡と推察」

このように書かれています。

ボランティアの方によると

ここにロウソクを立てたりして、

仏事も行ったのではとのお話で、

確かにそんな使い方も出来そうです。

ここでは、かなり多くの盃状穴に、

僕だけが(笑)はしゃいでいたかも?

次に、反対側(東大寺境内側)へ。

ボランティアの方が、

「こちら側の柱には、

1567年の東大寺の戦いの時の、

鉄砲玉の痕跡が残っています」

そう教えてくれました。

お~確かにある!!(笑)

これで、転害門の散策は完了です。

ボランティアのおじさま、

本当にありがとうございました。

お陰で、転害門を10倍楽しめましたよ!

 

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