富岡城(熊本県苓北町)後編

 

お城の復元方法

富岡城の本丸には、

ガイダンス施設である

多聞櫓風建造物の

富岡ビジターセンターがあります。

建物の外観と、内容については、

僕にとって、素晴らしいものでしたので、

本丸の復元方法として

僕的には大正解だと思います。

職員の方からの情報だと、

この秋、リニューアルされるそうですので、

益々充実した内容になるんでしょう。

また行きたいな・・富岡城(笑)

富岡ビジターセンター

下櫓からさらに登ると本丸です。

高麗門。

城内側からみた高麗門。

富岡ビジターセンター。

建物内部。

床の天草ガイダンスマップ。

巴湾の砂州が出来る過程が、

丁寧に説明されています。

富岡城史

天草島原の乱の後について

少し抜粋すると

「乱の鎮圧後、

築城の名手と謳われた山崎氏が、

天草へ送り込まれ、

城の大規模修理と縄張拡大を行ない、

富岡半島を島に見立て、

要塞を築きました。

それは幕府が対面保持と、

外洋に面する富岡城を、

水面下で「国際線上の守りの要」として

位置付けていたからに外なりません。

この時期、幕府は、

鎖国政策を進めていましたが、

海外列強の侵略を恐れていました。」

なるほど!

これで、山崎さんが、

この後、讃岐国の丸亀に転封され、

瀬戸内海の要衝である

丸亀城を作った(作らされた?)

意味がわかりました。

やはり幕府として、海上交通の要所は

築城名人にまかせて、

堅城で防備しておきたかったのですね。

﨑津集落、﨑津天主堂のパネル。

ここで、注目は、

パネルの下の張り紙です。

「館内の地図、パネルの表記に

誤りがありました。

(誤)崎津

(正)﨑津

訂正して、お詫び申し上げます。」

へ~僕も今までずっと

「崎津」と思ってました。

張り紙のお陰で、

僕も「誤」から「正」へと転換完了(笑)

外へ出て、城下の景色を撮影。

この後、堀池の裏側にある百間土手へ。

百間土手

富岡城の麓にあるのが、

百間土手と言われる

長い石垣と土塀で出来た土手です。

百間土手越しに見える富岡城。

山の頂上の建物は、

さっきまでいたビジターセンターや

それに付随する下櫓などです。

百間土手の案内を抜粋すると

「山崎家治は、城の守りを堅固にする為、

当時入り江だったこの場所に土手を築いて

汐を堰き止め、土手の内側にあった屋敷を

移転させ、川水を湛えて内堀にしました。」

このようになり、

その土手の内側がこちらです。

この水底に屋敷が沈んでいるのですね。

現代で言えばダム工事みたいなもの、

恐らく、相当な土木工事だったはず、

やはり築城名人は、

やることが大掛かりです(笑)

動画でも百間土手を撮影。

動画だとその長さがよくわかります。

大手門

次は大手門へ。

やはりここも

山崎家治が作っています。

復元された大手門石垣。

海側の石垣。

石垣の前にはお地蔵様に参拝し、

見所盛りだくさんだった

富岡城の散策はこれにて完了です。

 

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