小村寿太郎侯の墓(宮崎県日南市)
二つのお墓
小村寿太郎の墓は、
ここ宮崎県日南市と、
東京との二つがあります。
まるで、昨日書いた、
江戸時代の藩主のようですね。
どちらに遺骨が入っているのかや、
分骨されているのかなど
詳しい事は分かりませんが、
僕たちが訪問した日南市のお墓は、
小村家累代のお墓のようでした。
小村寿太郎侯の墓へ
飫肥藩主の伊東家累代墓地から
西側に少し歩いた所に、
小村寿太郎のお墓はあります。
案内。
日英同盟、ポーツマス条約、
不平等条約の改正など、
日本史の教科書に出てくる
ハイライトには出ずっぱり(笑)の
小村寿太郎さん。
これを読むと、
やはりこの人の功績は、
改めて凄すぎると思いますね。
墓域の入口。
左右に石灯籠が配置された、
小村寿太郎の墓にお参り。
墓石の側面には、
命日が刻まれています。
明治時代、日本という国が、
いつ滅ぶかも知れない
ギリギリの世界情勢の中、
全身全霊を持って
国家の隆盛に尽くした
小村寿太郎さんは、
明治時代の終わりと同じくして
この世を去っています・・・。
ここにお参りできて、
本当に良かった・・・。
気になるお墓
小村寿太郎のお墓から
五百禩神社の駐車場に戻る途中、
伊東家累代墓地の近くで
こんな表示を発見しました。
平部嶠南(きょうなん)の墓。
Wikipediaによると
飫肥藩の家老で、
幕末から明治にかけて
活躍した方のようで、
「19歳から66歳までの
47年間にわたる日誌が
『六鄰荘日誌』と呼ばれ現存している。」
このように書かれています。
47年間も日誌を続けるとは、
人間業ではない?(笑)
蛇の目の家紋は、
加藤清正と同だな~
と思いながらお参り。
これにて、日南市の散策は終わり、
帰りの列車に乗る
都城へと向かいます。