五百禩(いおし)神社(日南市)

 

神社名の由来

五百禩神社という名前、

かなり珍しいものですが、

神社の案内によって、

すぐに解明できました。

案内によれば、

「五百禩神社の前身となる旧報恩寺は、

飫肥藩初代藩主

伊東祐兵公(報恩公)のために

建立された寺です。

江戸時代には飫肥三大寺の一つとして

寺禄百石の伊東家菩提寺でした。

明治5年(1872)に

廃仏毀釈によって廃寺となり、

その跡地に五百禩神社が建てられました。

本殿が完成したのは

明治9年(1876)4月9日で、

明治37年(1904)には

幣殿及び渡殿を改築しています。

五百禩神社の「五百禩」とは、

伊東祐持が

西都の都於郡に城を構えてから、

最後の藩主伊東祐相まで

535年経ていたため、

500年祀るという意味で、

祐相が名付けたといわれています。」

このように書かれています。

祐相さん、

ご先祖を大切にするお気持ちから

このような名前を

付けられたのかも知れませんね。

五百禩神社へ

飫肥城の駐車場を出て、

5分ほど走ると、

五百禩神社が見えてきます。

一の鳥居は木製。

素朴で、温かみがあって素敵です。

石橋。

拝殿へ。

先程の石橋と、

ここの石段や石塀は

有形文化財に登録されているので、

お寺時代からの古いものでしょうが、

この石積み、隙間が無く、

見事な積み方ですね。

拝殿手前の案内。

冒頭で書いた五百禩神社の

由来などが書かれていて、

明治時代に建てられた本殿なども

国登録有形文化財となっています。

拝殿(神楽殿)。

参拝。

狛犬・木鼻の彫刻が見事ですね!

吽形。

拝殿から本殿へ。

本殿。

神社幕には御祭神である

伊東氏の家紋、

庵木瓜(いおりもっこう)が、

染め上げられています。

庭園

御社殿前には、

お寺時代からの

庭園が広がっています。

本殿を背にして庭園を撮影。

つい石橋に目がいきます(笑)

庭園と御社殿。

境内社

次に境内社へ。

御祭神はわかりませんが、

御社殿が赤色なので、

稲荷神社でしょうか?

まあ、勝手な推測です(汗)

参拝。

最後にツーショットは欠かせません(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください