土佐神社(2019年高知の旅)前編
140歳違いの兄弟
土佐神社が高知を
代表する神社であるのは、
以前から知っていて、
長宗我部元親が再建した
国指定重要文化財である
本殿や拝殿に出会えることを
楽しみにしていました。
ところが、
実は旅の直前になって発見した事が、
今回の土佐神社参拝に
さらなる喜びを与えてくれたのです。
それは、僕が神社訪問の参考というか、
日常的に拝見している素晴らしいサイト
「神社探訪 狛犬見聞録」の中で
土佐神社の拝殿には、
江戸時代と平成時代生まれで、
なんと140歳違いの
対の備前焼狛犬がいるという情報です。
これは凄いことではありませんか!
ワクワクしながらの参拝、
こんなに素敵な時間はありませんね。
楼門
拝殿近くの駐車場に車を置き、
長~い参道を戻り、
そこで撮影したのが、この楼門です。
神仏習合だった江戸時代は、
仁王門(お寺の門)だっそうです。
楼門は二代藩主山内忠義が
再建したもので、Wikipediaによると
江戸時代前期の
寛永8年(1631年)の建立です。
楼門をくぐると参道が見えます。
両脇を石垣でかため、
参道を一段低くしたのは、
室町時代のことで、
社殿を高い位置に
見られる配慮だとか。
石垣の所々に
石段があるのは、
この両脇にはお寺があったのかも
知れません。
石垣の参道終点部分。
それまではあまり視線に入らなかった
御社殿が、上って見ると正面に開け
ちょっと感動します。
低くした参道の効果は抜群ですね。
手水舎。
自然石の手水鉢。
柄杓の数が、
参拝者の多さを物語っています。
御社殿へ
手水舎から少し行くと
案内板があります。
御由緒。
ここには書かれていませんが、
土佐神社のご社殿は上から見ると
「とんぼ」の形をしていて、
これは案内図でも形ではわかります。
Wikipediaによると
「本殿前に建つ幣殿と拝殿は
平面に「十」字形を成す。
これらは本殿を頭としたトンボ(蜻蛉)が
飛び込む形を表す
「入蜻蛉(いりとんぼ)」形式といわれ、
戦からの凱旋報告を意味するとされる
土佐神社独特なものである」
と書かれています。
上空から見る事は出来ませんが、
俯瞰した気持ちになって参拝すると
何かが見えてくるかも知れません。
木造の鳥居。
神額の文字は、戦前の総理大臣、
近衛文麿の謹書です。
ここに「トンボ」の事が書かれていました。
高知に来て知ったのは、
山内一豊だけでなく、
長宗我部元親という名が、
各地で出てくる事です。
高知県の方々には、
他国から家来を連れて来て
統治者となった山内家と
地元の英雄である
長宗我部元親、それぞれへの
思いがあるのでしょう。
トンボの尻尾(拝殿)が見えて来ました。
尻尾の両脇には羽が見えます(笑)
拝殿前の参拝所。
龍馬伝のロケ地だったんですね。
そして、16時30分までは、
拝殿に上って参拝が出来ますので、
僕たちはもちろんそちらで参拝します。
備前焼狛犬
拝殿前、トンボの尻尾の部分で撮影。
お~!!いましたよ。
140歳違いの兄弟狛犬が!
靴を脱いで拝殿に上がって参拝。
そして、お目当ての狛犬です。
阿形は慶応二年(1866年)生まれ。
今年(2019年)で153歳(笑)
妻はこちらが兄だと
すぐに言っていました。
体のシャープさと躍動感が
備前狛犬的なんだと・・・
さすが、良く分かっています(笑)
「備前伊部住 木村新七良貞清造」
と刻まれています。
そして、拝殿向かって左の吽形。
平成二十三年(2011年)生まれ。
今年(2019年)で8歳。
以前の吽形は60年ほど前に
行方不明になったそうです・・・
ふくよかなボディーラインですね。
「播磨姫路住 安川清泉」
と刻まれています。
この方は、鬼瓦制作の「鬼師」で、
備前焼専門の陶工ではないようです。
その方が、阿行の対になる
こんなに凄いものを制作されるとは、
全く敬服するしかありません。
「復元」の真骨頂を見る事が出来、
改めてこの狛犬を
知るきっけになったサイト
「神社探訪 狛犬見聞録」を
運営されているご夫婦に感謝です。
拝殿内の散策。
「正直」の扁額。
「しょうじき」と読むのでしょうか。
拝殿左側廊下から。
拝殿奥。
茅の輪くぐり?
子供用(笑)
トンボの右の羽(拝殿右翼)
に置かれた太鼓車。
龍の彫刻が素晴らしいですね。
こんなに大きな神社で、
拝殿を徘徊出来るなんて、
何と自由なんでしょう。
お陰で、大いにトンボの羽を
堪能出来ました。
見所が多い土佐神社、
このあと社殿や本殿外観
そして神木などまだまだ続きます。
今日の不思議
拝所。
これは何を祭っているのか
今も不明です・・・
そして、もっと不明なのが、
拝所を通る線路です。
今も現役で使える感じですが、
いったい何の線路なんでしょうか。
謎は深まるばかりです(笑)