豊原北島神社(岡山県・邑久町)
両詣り
豊原北島神社へ来る途中、
所々でみかけたのが、
「両詣り」の案内板で、
お正月は、お寺(餘慶寺)と
神社(豊原北島神社)の二つをお参りし、
開運を祈願しましょうというものです。
なかなか、このような地域は、
日本でも珍しいのではないでしょうか。
廃仏毀釈の歴史的な背景もあってか、
寺社の仲が悪い(笑)地域もある中、
ここは、現代においても寺社が混在し、
神仏習合を享受出来る
心安らぐ空間となっています。
豊原北島神社へ
餘慶寺から豊原北島神社へは徒歩0分、
同じ境内を移動する感覚です。
餘慶寺の東隣に隣接した
豊原北島神社。
岡山県神社庁のサイトには、
「神社を中心に両側に寺坊の建ち並ぶ形は、
平安時代の神仏習合(本地垂迹)の
形をとどめている今では珍しい古い形で、
神仏の分離は藩主池田光政により行われ、
寛文6年(1666年)
余慶寺本乗院良庸が
還俗して神職となり代々相続している。」
このよに記されています。
参道入口。
左右の狛犬は、
安政七年(1860年)の寄進。
ご由緒。
一の鳥居。
手水舎へ。
立派な石垣は、
明治十二年の寄進です。
力石という名前の、
四十貫、150Kgの石。
拝殿。
Wikipediaによると
「平成14年(2002年)に
本殿以外を失火により焼亡した。
拝殿・幣殿・釣殿が平成18年
(2006年)に再建された。」
このように書かれています。
神紋は、五三の桐。
拝殿内には、親切なことに、
セルフお祓いが出来るよう、
大麻(おおぬさ)が準備されています。
神社の宝物、
国指定重要文化財、
「色々威甲冑」
(いろいろおどしかっちゅう)の写真。
(実物は岡山県博物館に寄託中)
「岡山県下に伝わる大鎧のうち、
最も完全な姿をした名品である。
江戸幕府老中松平定信が編集した
「集古十種」に、源平合戦で活躍した武将
佐佐木信綱のものと紹介されている。
しかし、実際の制作年代は形態から
南北朝時代と考えられ、
その優れた造形からこうした伝承が
生まれたものと思われる。」
このように説明されています。
本殿。
本殿右横。
本殿は大正8年(1919年)の再建。
(Wikipediaによる)
境内社など
東遥拝所。
ここから東百メートルほどの所にある
神社創建時の石座
(いわくら)を遥拝する場所。
気比神社。
右側の狛犬。
頭のてっぺんの小孔。
案内には、
「右のこま犬の頭に
雨だれでできたこあながあります。
古老は雨だれでさへ固い石をうがつ
人間努力しんぼうが大切と教えました」
このように書かれています。
こま犬さんも辛抱強いですね(笑)
吽形。
参拝。
天神社。
西遙拝所。
「東のいわくら遙拝所は、日の出を、
西の遙拝所は夕陽や西方の
神社・祖霊を拝んで安全と加護を祈り、
祖先をしのびました」
(案内による)
稲荷神社の社頭。
石鳥居は、
文久四年(1864年)の建立。
参拝。
最後にツーショットで参拝完了。