久留島武彦記念館(大分県玖珠町)後編

 

海賊の血を感じる

久留島武彦は、

平安時代末期から戦国時代まで、

今の広島県尾道市から

愛媛県今治市を繋ぐ、

「しまなみ海道」一帯の

瀬戸内海を牛耳った海賊、

村上水軍の末裔です。

村上水軍は大きく、三つに分かれました。

広島の因島(いんのしま)を根拠とする

因島村上氏、

しまなみ海道の中央部の

能島(のしま)を根拠とする能島村上氏、

四国本島近くの来島(くるしま)を根拠とする

来島村上氏です。

ちなみに来島は、

「狂う潮」が訛り、「くるしま」となったほど

潮流が激しく、天然の要塞とも言えます。

この来島村上氏が関ヶ原の戦いで西軍につき、

敗軍となった後、

改易(取り潰し)は逃れたものの

今後一切水の上で暴れられないようにとの

徳川家康の思惑があったのか、

大分県の山奥である

豊後森藩に転封させられました。

実際には藩庁の森陣屋があった玖珠郡のほか、

日田郡・速見郡に飛び地もあり

参勤交代では速見郡からは、

船を使ったそうで、

海との関わりが完全に断たれたとも

言えなかったようです。

この後、二代目藩主が、

「来島」を「久留島」と改めて、

現在に至ります。

多くの水上での戦いを経て、

関ヶ原後の家督存続の戦いも

何とかかいくぐった「海賊の血」。

そのバイタリティ溢れる行動力のDNAを

久留島武彦は、

そっくり受け継いでいたのです。

ものがたりの部屋

久留島武彦が、日本全国で

童話を語り聞かせた口演童話活動。

僕は最近この「語り聞かせる」ということ、

今でいう「読み聞かせ」が、

幼少期の子供にとって

どれだけ大切なことかを知りました。

その童話の語り聞かせをここでは

「ものがたりの部屋」という名の

シアタールームで体験出来ます。

作品のリスト。

久留島武彦自身の

子供に優しく分かりやすい

ユーモアたっぷりの語り聞かせも

体験することが出来ます。

日本を旅する部屋

ものがたりの部屋の横には、

「日本を旅する部屋」があります。

久留島武彦が玖珠で生まれ、

その後の人生を場所に沿って描いた

ビデオが上映されていて、僕はここで

今回玖珠に再訪するきっかけとなった

奈良県の八咫烏神社と久留島武彦

接点を知ることが出来たのです。

始まりは玖珠町から。

そして、知ったのは、

久留島武彦は、奈良県に住んでいた

時期もあると言うことです。

こちらは、奈良県、

「賣太神社」(めたじんじゃ)の阿礼祭。

何と、久留島武彦が始めたものです。

ビデオの案内では、

アンデルセンに匹敵する「話の神様」は

稗田阿礼(ひえだのあれ)が最もふさわしいと、

1930年(昭和5年)に始められ、

今に続くお祭りとなっています。

稗田阿礼とは日本最古の歴史書、

「古事記」を口述した人で、

この口述を太安万侶(おおのやすまろ)が

聞いて書き取り、編纂しています。

古事記の成立は稗田阿礼の

天才的な記憶力なくして

あり得なかったのが凄すぎますね!

その古事記には神武天皇の東征で、

天皇の道案内役となった

八咫烏(やたがらす)が出てきますので、

そこから八咫烏神社への

八咫烏の彫刻写真奉納に

つながったのかも知れません。

世界を旅する部屋

日本を旅する部屋の端っこには

屈まないと通れない扉があります。

「世界の旅へ」と題された扉、

開けないわけにはいきません(笑)

ドアの反対側は船の出入り口となっています。

ここは久留島武彦が船に乗って、

世界中を旅したことを展示している部屋で、

見学者も船旅気分を

味わってもらおうという嗜好でしょうか。

日本におけるボーイスカウトの

基礎を作った人でもあります。

アメリカ、世界一周、アジア、

さすが、海賊の末裔、

船旅は半端ないものでした!

久留島先生ゆかりの部屋

船旅が終わると、次にあるのは、

「久留島先生ゆかりの部屋」です。

今ここでフューチャーされているのは、

人間国宝 井上萬二展です。

陶芸家、井上萬二の作品が並んでいます。

陶器を見ていて、

その上をふっと見ると、

そこには久留島武彦が描いた絵が、

並べられていました。

その半分近くは自身の干支である

戌年にちなんだ犬張子の絵です。

左端の絵、

金太郎の腹掛が干されて、

その下にマサカリが置いてある。

でも本人はいない・・・

ユーモアというか、センス抜群です。

絵も上手いし、

改めて凄い人なんだと感動です。

出会いの部屋

ここでは久留島武彦が出会った人々を

中心に展示してあります。

部屋の全景。

備前焼の鬼像。

説明によると、

昭和13年、

福岡県小倉市(今の北九州市小倉北区)の

到津(いとうづ)遊園地に

桃太郎像が建ったのを記念して、

久留島武彦が制作を依頼し、

到津遊園地に寄贈したものです。

何と細やかな神経だことか!

桃太郎には鬼退治で有名、

桃太郎は岡山県の話、

岡山と言えば備前焼、

だから桃太郎の対になるのは、

備前焼の鬼なんでしょう。

こんな気配りが出来たからこそ、

これだけの偉業を成し遂げたのですね。

別府亀の井ホテルの創始者、

油屋熊八の手形。

比べてみたらやはりこの方はデカイです。

別府駅にはこんな

油屋熊八の像があるそうです。

何度も別府駅には行きましたが、

全く記憶にないな~(汗)

到津遊園の園長をつとめた

阿南哲朗のコレクションである

土鈴1,150個も展示されています。

久留島武彦は到津遊園の

子どもたちに向けた

林間学園の園長もやっていて、

その林間学園は、

今もなお続いているというから

凄いとしか言いようがありません!

三島公園

一時間半ほど久留島武彦記念館に

滞在したあと、外に出て見ると、

入館時には曇が多かった空は、

素晴らしく晴れ渡っていました。

久留島武彦記念館と背後には

角牟礼(つのむれ)城がある

角埋(つのむれ)山が

くっきりと浮かんでいます。

久留島武彦記念館前には、

厳重にカバーが巻き付けられた

石碑らしきものが。

職員の方に聞いてみると

僕たちが訪問した半月後、

11月15日に除幕される石碑で、

久留島武彦が言った、

「継続は力なり」が刻まれているそうです。

三島公園にある玖珠町設置の案内。

ここにも「継続は力なり」が大きく

書かれています。

三島公園の駐車場にある

ここから見える

テーブル型の山についての案内。

メーサ、ビュートと言うそうです。

カッコいい、テーブルマウンテンですね!

規模は違いますが、

こんな山が玖珠に他にもあって

公園後ろの角埋山からは

その幾つかは見えるそうです。

公園には蒸気機関車があります。

屋根も付けられて、

かなり大切に取扱されているので、

劣化が少なく、素晴らしい車両ですね。

この後、子どもたちが来て、

運転席に入ったりして遊んでいたので、

「な~んだ僕も運転席で遊べば良かった」

なんてちょっと悔しい思いも(笑)

久留島武彦記念館と

テーブルマウンテンを臨む。

僕の背後には、あの大きな

童話碑があります。

ここは、昔森藩の政庁や、

久留島家の屋敷の跡です。

この下には、

70年近く前に全国の小学生たちが

筆書きした4万個もの石が

埋められていると思うと、

なんだかただの石碑ではなく、

人の意志を感じてしまいます。

その子らは今お爺ちゃんお婆ちゃん、

そして鬼籍に入られている方もいるしょう。

7mの高さというから

高さの比較に妻が登場(笑)

確かに大きな石碑ですね。

そして、この石碑を微動だにせず

一心不乱に見守るのが、

到津遊園から贈られた桃太郎像です。

戦時中の金属類回収令にも

園長の阿南哲郎氏は、

この像を守ったそうです。

いい表情の桃太郎ですね!

この桃太郎像といい、

備前焼の鬼像といい、

是非、岡山の方にもここを

知ってもらいたいものです。

今日の癒やし

やはり犬張子&犬の絵です。

こんなに愛らしい絵が描けるのは、

子供を思う純粋な心の持ち主

だったからこそなんでしょう。

 

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