牛窓神社(岡山県瀬戸内市)

 

町名の由来

牛窓(うしまど)という名前、

なかなか珍しい地名です。

Wikipediaによれば、

「神功皇后が三韓征伐の道中、

この地で塵輪鬼

(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に

襲われたが弓で射殺。

皇后が新羅からの帰途、

成仏出来なかった塵輪鬼が

牛鬼(ぎゅうき)になって再度来襲、

住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。

この場所を牛転(うしまろび)といい、

訛って牛窓になったという。」

このように書かれています。

牛転のままだとかなり言いにくいし、

訛って良かった~(笑)

裏参道

グーグル先生が案内してくれたのは、

牛窓神社の裏参道駐車場。

参道の両脇が駐車場なので、

車での参拝者には、

利便性抜群です。

「寛政四年壬子歳」の寄進の燈籠。

西暦だと1792年です。

こちらは対になる左側の燈籠。

「元気、やる気、勇気、本気、根気」

これが牛窓神社の

キャッチフレーズかな?

なかなか、素晴らしいお言葉ですね!

裏参道をさらに進み、

まずは拝殿で参拝したのですが、

それは、また後ほど書きます。

何故ならば、牛窓神社は、

やはり「表参道」こそメインだからです。

社務所前の案内。

「長い石段」と

正直に書かれています(笑)

かなり距離はありますが、

まずは社頭まで頑張って歩き、

その後、また戻ります(汗)

表参道

境内中心地から

写真を撮りながら歩くこと15分、

牛窓神社の入口でもある

牛窓海水浴場に到着。

瀬戸内海の静かで美しい海に

身も心も癒される僕たち(笑)

神社方向。

一の鳥居は海のすぐ側という

絶好のロケーションです。

天保二年(1831年)の寄進。

長い上り階段。

注連縄柱。

「もう少しです」とは書かれていますが、

実際には・・・(汗)

そしてこの時妻が雄叫びを(笑)

「トンボちゃん来てる!」

12月というのに、

赤トンボを見られるとは!

やはり妻のおばあちゃんが、

来てくれたのでしょう。

展望台。

展望台からの景色と案内図。

左側には「かきおこ」発祥の地、

日生(ひなせ)町が見え、

正面遠方には淡路島、

右端奥には小豆島が見えている・・・

気がします(笑)

二の鳥居(だったか?)

随神門。

ここをくぐると拝殿はもうすぐです。

手水舎。

ここにも「五つの気」が。

「正義の味方 牛鬼くんの力水です!!」

なんと、冒頭に書いた、悪者の牛鬼は、

いつしか正義の味方となっています!

ちょっと可愛らしい牛鬼のお口から

流れる力水で、僕たちも

元気、やる気、勇気、根気、本気を

しっかりといただきました。

お尻もチャーミング(笑)。

ありがとう!牛鬼くん。

拝殿方面へ。

拝殿。

この時間、宮司さんはじめ

氏子さんたちも

正月準備で大忙しでした。

左側から本殿方面へ。

渡殿。

渡殿と本殿の間の石玉垣には、

明和四年(1767年)当時

牛窓に軒を連ねた廻船問屋の

旦那衆の名前がズラリ並んでいます。

檜皮葺の本殿。

唐破風につけられた

五三の桐紋も檜皮です。

本殿真横から。

千鳥破風にも

檜皮の彫刻が施されていますね。

本殿右前から。

唐破風の上の千鳥破風には

檜皮製の菊紋もあしらわれていました。

牛窓神社の御祭神でもある

神功皇后など皇室ゆかりの神社では、

菊紋をよく見かけます。

いくつかある案内の一つ。

「江戸時代、文化九年(1812年)に

再建された。

備前屈指の宮大工の一統として

その名を馳せた邑久郡宿毛の里

田渕市左衛門 嘉一兵衛父子が

心血を注いで建立した」

このように書かれています。

本殿前でツーショット完了。

境内社など

本殿の周囲には、

いくつかの境内社や遙拝所があります。

出雲大社遥拝所。

左、祇園神社、

右、稲荷神社。

伊勢神宮遥拝所。

御朱印

年末で忙しいからか

コロナ禍だからかは忘れましたが、

御朱印は書き置きのものを

授与いただきました。

「神功皇后御聖地」

やはりここは、

神宮皇后伝説の地なんですね。

今日のトイレ

牛窓神社で感動したのがトイレです。

観葉植物が置かれた外観も

暖簾も内部も清潔そのもの。

牛窓神社参拝のおりには、

是非入られることをお勧めします(笑)

 

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