2021/12/26

和歌山城(和歌山市)その1

 

城主の変遷と石垣

多彩な石垣を

堪能出来る和歌山城。

戦国末期から江戸期までの石垣が、

かくも良好に残っているお城は、

和歌山城以外には、

そう多くないでしょう。

豊臣秀長時代の

緑色片岩を使った野面積み、

浅野長政時代の

和泉砂岩を使った打込み接ぎ、

徳川頼宣時代以降の

熊野の花崗斑岩を使った切込み接ぎ。

そのどれもが「た~くさん」あり、

石垣を見るだけで、

和歌山城散策は日が暮れそうです(笑)

このブログで書いた散策行程は、

赤のラインを引いた部分。

落書きっぽくなっていますが、

僕のパソコン加工スキルでは、

これが限界なのですよ・・・(汗)

追廻門

江戸時代からそのまま建つ、

追廻門から攻城スタートです。

追廻門。

案内を要約すると

「門を出て道を隔てた外側に、

馬術を練習する追廻があったので、

この名がついた高麗門形式の門です。

元和五年(1619)

紀州徳川家初代頼宣が入国し、

和歌山城を拡張して砂の丸や南の丸を

内郭に取り込みました。

当然、追廻門もその時建立されたもので、

岡口門とともに空襲でも焼けずに残った

旧藩時代の少ない遺構です。」

このようになります。

近影。

石垣の上の曲輪に登って俯瞰撮影。

門の真上からも撮影可能とは、

楽しすぎますよ!

高麗門の形がよく分かりますね。

追廻門から城内に入った枡形部分。

ここは切込み接ぎと打込み接ぎの

ミックスっぽい感じですが、

このすぐ後ろ側の石垣は野面積みです。

石垣の角の算木積みも

まだ発展途上中だし、

豊臣秀長時代のものでしょうか。

このあたりを動画で撮影。

現在ここは和歌山縣護國神社

参道入口にもなっています。

新裏坂

次の見所は、

新裏坂の石垣。

真っ直ぐ行くと神社、

左に折れると、新裏坂です。

お目当ては石垣の刻印で、

案内には、

「和歌山城の石垣のうち2110個に

刻印があることが分かっていて、

そのうちの845個と4割が

この新裏坂に集中している。

和歌山城研究家の

故松田茂樹氏によれば、

刻印のある石垣が和泉砂岩に限られ、

浅野家が城主だった時代、

(1600~1619)に

修築された石垣にしか

使われていないことなどから、

浅野家の家臣が主家の

城普請に協力したしるしとして

刻印と推定されている。」

このように書かれています。

打込み接ぎなので、

浅野家時代なのは

間違いないでしょう。

刻印発見!

これは違い鎌の家紋?

だとすると、

小早川秀秋ですが・・・

加藤家の蛇の目紋かな?

卍(まんじ)。

この形は何でしょうか・・・。

石垣の端っこ。

ここの算木積みもまだ未完成ながら、

先程見た野面積みの石垣に比べ、

進化しているのがよく分かります。

天守へ

そして、序章で書いた、

忍者がベビーカーを持って

120段登った石段を使い、

天守を目指します。

忍者に比べれば、

僕達は手ぶら、

120段位なんか、なんのその・・

なはずですが、実際は・・・(汗)

天守下近くの石垣は野面積み。

石が風化してるのか、

それとも火災の跡なのか、

かなり隙間があります。

もうすぐ天守。

二の門櫓が見えてきました。

天守前の曲輪に到着。

意外ですが、

天守下の石垣は豊臣秀長時代の

野面積みなんですね!

勿論、角の算木積みも皆無。

ということは、

豊臣の石垣に

徳川の天守というコラボ(笑)

豊臣の大阪城を

完全に埋めてしまって、

その上に徳川大坂城を作り

豊臣色を亡き者にした徳川さんなのに

ここではこだわっていなかったのでしょう。

正解はわかりませんが、

もし、そうだとしたら、

徳川頼宣さん、

お尻がムズムズしたりしなかったかな(笑)

そんなことまで想像させてくれる和歌山城、

魅力は尽きません。

動画でも撮影。

戦国時代丸出しの石垣、

無骨で、渋くて素晴らしいな~

なんて思っていたら、

妻が一言、

「あの石落とし、変わってるね!」

お~!

気づかなかった!

曲線の石落としは

生まれて初めてですね。

このデザインに何か

利点があったからなのかな?

今日の歌碑

天守前の広場には、

「まりと殿様」の歌碑があります。

作詞した西條八十の直筆。

僕には達筆に見えますが、

書家っぽい妻(笑)からすると

どうなんでしょう。

この歌詞は五番ですが、

歌詞を調べてみると、

一番から五番で完結する歌で、

紀州の殿様が江戸から

紀州へ大名行列で帰るところに

まりが飛んできて、

そのまりも一緒に紀州まで行き、

そこで「みかん」になったという

想像力豊かというか、

まさにファンタジー(笑)

空想力抜群の歌詞なんです。

最後の「なったげな」の「げな」は、

博多弁で使いますが、

西條八十は東京出身、

何で「げな」なんだろう?(笑)

(その2へ続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください