和歌山城(和歌山市)その2

 

日本三大連立式平山城

天守(天守閣)の構成は、

独立式、複合式、連結式、連立式の

4つに分類され、

最も多いと言われるのが、

犬山城彦根城松江城などの

複合式と呼ばれる、

天守に付櫓や

小天守が接続される形で、

逆に希少なのは、連立式と呼ばれる

大天守と二基以上の櫓を

上空から見ると口の字の形のように

渡櫓で接続しあう形式です。

以前訪問した姫路城松山城と共に

この和歌山城は、

希少な後者の連立式天守の一つで、

この三つを合わせて、

「日本三大連立式平山城」

と言われています。

今回の和歌山城訪問で、

日本三大連立式平山城は制覇完了、

メデタシメデタシという訳ですね(笑)

天守曲輪へ

外観を楽しんだあとは、

天守内部へ。

まずは二の門から「口」の字の中へ

入っていきます。

途中、石段を登っていると・・・

転用石を発見!

「法印」の文字が残っていますので、

墓石や宝篋印塔、五輪塔などの

一部なのでしょう。

福知山城(大和)郡山城など

戦国期には転用石を

城普請に使うことは珍しくなく、

これが、

豊臣秀吉の弟、

豊臣秀長が和歌山城を作った

痕跡かも知れないと思うと、

益々和歌山城が楽しくなってきます。

二の門。

口の字の中に入って天守を望む。

唐破風の書院造風の玄関が

平和でのどかな雰囲気を

醸し出しています。

そして、ここで妻が雄叫びを。

「あれ、見て!珍しいね!」

そう言って指差したのは、

入母屋破風の彫刻です。

さすが、徳川御三家の城、

破風の中までも手抜かりなく豪華版(笑)

(御三家でも水戸城だけは質素ですが)

天守内

そして、中へ。

ラッキーにも

本日は埋門(うずみもん)が

公開日されていますね!

位置的に言えば、

最後のお楽しみかな?

「紀州藩参勤交代行列図巻」

案内によると

「紀州藩の参勤交代行列が

大坂の住吉社

(現住吉大社)の前を通過し、

和歌山に帰国している

様子を描いたもの。」

このように書かれています。

なんと、天守前広場にあった

「まりと殿様」の歌碑の

内容そのものですね!

あの歌を意識して、

ここに展示されているのかな?

でも毬は描かれていないか~(笑)

天守内はシャンデリアを使った

和洋折衷な仕上げ。

武器武具の紹介。

折りたたみ式の鎧。

弓の展示かと思いきや、

凄い競技が紹介されています。

「三十三間堂の通し矢」

案内によると

「大矢数・・午後6時から始めて、

翌日の日暮れまで行い、

矢を通す記録を競う。」

続いて、

「その当時の記録は、

寛文9年(1669)

尾張家の星野勘左衛門が

総矢数10,542本のうち、

8,000本を通したというものであった。

その記録を17年ぶりに破ったのが、

和佐大八郎範遠である。

貞享3年(1686)

4月27日、24歳であった。

総矢数、13,053本で、

通した数は8,133本

(丸一昼夜、1分間に9本の矢を

放ち続けたことになる)。

17年ぶりの新記録を出した

和佐大八郎範遠には、

京都で祝宴会が盛大に催され、

紀州藩2代藩主徳川光貞は、

現在の八軒屋まで、

じきじきの出迎えをしたと言われる。

そして、300石の褒美を賜っている。

新記録を出したものは、

「総一」「弓の天下」と称され、

堂内に通し矢奉納額が掲げられた。

その後も彼の記録は破られることなく、

現在も三十三間堂に掲げられている。」

このようになります。

凄い競技ですよね!

初めて知りましたが、

通し矢は、

莫大なお金がかるのも

ネックとなったのか、

Wikipediaによると

江戸時代中期には廃れ

明治32年に

行われたのが最後のようです。

三十三間堂、

行ってみたくなりました(笑)

通し矢の図。

和歌山県田辺市にある

和田大八郎の墓。

紀州藩金丸旗印。

カッコいいので撮影(笑)

「木下日足紋・五七桐紋

緋羅紗陣羽織」。

こちらもカッコいい!欲しい(笑)

案内によれば、

「女性用かも知れない・・・陣羽織。

幕末、木下家から

紀州徳川家の家老・三浦家へ

嫁入りした記録があり、

その際持参した

女性用陣羽織と考えられる。

木下家は備中足守藩主で、

豊臣秀吉の正室・北政所の兄の家系。

中央に木下日足(きのしたひあし)、

下部には五七桐の紋を使用する。

女性用は岡山藩主・池田家の

夫人のものしか見当たらず、

大変貴重である。」

このように書かれています。

12代藩主徳川斉彊画

「松に叭々鳥(ははちょう)」

もっとも絵が上手い藩主と書かれています。

天守最上階。

和歌山城のジオラマ。

廻廊からの展望(北側)。

東側。

南側。

西側。

ここからは連立式天守の

「口の字」になっているのが、

よく分かりますね!

多門櫓内を歩いて次のコーナーへ。

和歌山県の偉人・先人コーナー。

坂本龍馬の亀山社中にもいた

後の外交官である陸奥宗光や、

ナショナルの創業者、

松下幸之助など

そうそうたるメンバーの中、

一人を紹介するとすれば

やはりこの人でしょう。

南方熊楠(なみかたくまくす)

和歌山県人ならこの名前、

みんな知ってるはずと心で思ったら、

偶然にも隣にいた

父子の会話が耳に入りました。

「この人知ってる?」

父親が小学生の息子に言うと

「もちろん、知ってる!」

僕の想像は確信に変わったのです(笑)

それほどに凄い人。

案内を超訳すると

「彼は菌類や粘菌の研究だけでなく、

民族・文学・歴史等の分野にも

多く文章を発表。

明治39年に布告された

「神社合祀令」による

鎮守の森の伐採で

植物が絶滅することや、

生態系が崩れることを憂い、

神社合祀令反対運動に精力を傾注。」

このようになります。

その他、驚異的な記憶力と奇行など

天才間違いなしの人。

Wikipediaによれば、

夏は一糸まとわず素っ裸で

過ごしていたそうです(笑)

埋門(うずめもん)

最後は、たまたま公開されていた埋門へ。

「特別公開中」の文字に、

浮足立つ僕(笑)

石段を降りて・・・

野面積みの石垣。

やはり秀長時代からあったのかな?

外側はこんな感じ。

丁度、モデルさんがいたので、

埋門の大きさも分かりますね。

(こんな時マスクは有り難し!)

今日の癒やし

二の門入ったところには、

こんな演出が!

お城にハトではなく、ハート(笑)

こんなちょっとしたユーモア、

癒やされますな~!

(その3に続く)

 

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