予科練平和記念館(茨城県)特別展

祝・横綱昇進
予科練平和記念館を訪問して
初めて知ったのは、
元横綱稀勢の里の二所ノ関部屋が、
ここ阿見町に構えられている事です。
もちろん親方の出身地が、
お隣の牛久市である事も
大いに関係しているでしょうが、
東京の両国国技館から、
こんな遠い場所に部屋を構えたのは、
二所ノ関親方の慧眼かもしれません。
都心と違い、「誘惑」というものが、
格段に少ない(多分)のですから(笑)
しかも親方の地元という事で、
精神的なバックアップ効果も
計り知れません・・
そんな相撲道に集中できる抜群の環境の中、
本日、横綱大の里が誕生しました!
たまたま、このブログ投稿と同じ日に、
二所ノ関部屋、阿見町にとっての
大きな慶事が起きるとは、
驚き以外の何物でもありません。
改めて、
阿見町、予科練、特攻隊の皆様との
深いご縁を感じ、感謝しています。
外観
零戦実物大模型に感動後、
館内へと向かいます。
阿見町の案内。
ここにはまだ掲載されていませんが、
二所ノ関部屋は左端、
牛久市との境界あたりになります。
予科練平和記念館のコンセプトは、
「空を感じる空間」。
外観だけでなく
館内からも多くの「空」が
見えていました・・・
正面。
左側面。
ここからだと特に
「空」を感じられますね!
ロゴは予科練の制服、
「七つボタン」を
表しているようです。
エントランスには、
予科練のあった、
土浦海軍航空隊の金属製平面模型が、
入口前の壁に貼られ、
当時の姿がよく理解できます。
詳しい解説。
注目したは「土浦航空神社」で、
戦艦などの「艦内神社」みたいな
位置付けかも知れません・・
撮影はここまでひとまず終了。
(館内は全て撮影禁止なので)
雨の痕跡
予科練平和記念館訪問の翌日は、
一日中雨または大雨で、
リュックに雨水が染み込み、
ファイルに入れていた資料も
かなり濡れまくってしまい、
ここで掲載した資料には、
そんな雨の痕跡がしっかりと
残されています。
これもいい思い出だなんて、
無理やりポジティブにはなりませんが、
そんな事も含めて
全てが「旅」なんですね。
パンフレット
館内写真は無いので、
パンフレットを抜粋しながら
記憶を蘇らせることにします(笑)
(パンフ表面)
「予科練とは」
「海軍飛行予科練習生」及び
その制度の略称で、
昭和5年に教育を開始しました。
14才半から17才までの少年を
全国から試験で選抜し、
搭乗員としての基礎訓練をするもので、
終戦までに24万人が入隊し、
うち2万4千人が戦地へ赴きました。
特別攻撃隊として出撃したものも多く、
戦死者は8割の
約1万9千人にのぼりました。」
(パンフ内面)
「七つボタンと7つのテーマ」
「予科練志望者のあこがれであった
「七つボタン」は、
世界の七大洋を表したもので、
海を越えて大空を駆け巡る
大いなる期待が込められています。
予科練の代名詞とされ、
空を目指した
当時の少年たちのあこがれであった
「七つボタン」にちなんで、
入隊から特攻にいたる
7つのテーマによるストーリーを設定し、
施設全体を構成しました。」
平面図を拡大。
7つのテーマによるストーリーの中、
特に印象に残ったのは、
「6 窮迫」の映像で、
土浦空襲に遭った
当時の人達のお話を聞くと、
今の自分たちが、
いかに別世界にいて、
平和ボケしているかを教えられます。
戦争をしなくて済むには、
日々何を考えて実行するべきか、
改めて考えさせられる秀作です・・
土門拳(どもんけん)
パンフ内面の左側、
土門拳については、
特に記憶に残っています。
土門拳についての記述部分を拡大。
「予科練平和記念館では、
昭和を代表する写真家、
土門拳が土浦海軍航空隊に
泊まりこんで撮影した
写真42枚を収蔵、展示しています。
戦後、一連の写真のほとんどは
焼却されてしまいましたが、
当館で展示しているものは、
持ち主の予科練習生が
入院中だったために
処分をまぬがれて
奇跡的に残ったものです。
予科練の証言者ともいうべき
貴重な写真をご覧下さい。」
奇跡的に残った写真、
これはすごい事ですよね!
やはり御英霊の皆様の
「僕たちを忘れないで・・」
そんなお気持ちが
そうさせたのでしょう・・
また、
妻から教えて貰ったのですが、
土門拳は非常にこだわりが強く、
何度も何度も気に入るまで、
被写体になる方に、
やり直しをさせたそうです。
撮る方よりも撮られる方が、
大変な思いだったとは、
ちょっと笑えるし、
拳さん(笑)のこだわりには
ただただ敬意しかありません。
拳さんの出身地、
山形県酒田市の
土門拳写真美術館で開催される
企画展のパンフを頂きました。
土門拳写真美術館の住所は、
山形県酒田市飯盛山とあり、
調べた所、
昨年僕たちが参拝した
南州神社のすぐ裏側なのです!
ちなみにこちらが南州神社です。
Googleマップで見ると、
南州神社の真裏に
拳さんの美術館があり、
神社で参拝=拳さんも同時に参拝という
面白い?位置関係です(笑)
地図には「拳湖」なるものもあり、
拳さんの愛され度がわかりますね!
ホント拳さんとは、
山形からご縁があったんだと、
ちょっとビックリですよ。
イベントスケジュール。
企画展・特別展。
僕たちが訪問した時の特別展は
「ペンを剣にかえて 海軍予備学生の軌跡」
これは心に来るものがありました・・
特別展
中身の詰まった
特別展のパンフレットは
「転載・転売」不可との事なので、
ここでは特別展の案内チラシと
展示室案内図、展示目録のみを載せます。
表面。
内面。
「予備学生とは、
大学などの高等教育機関から
海軍の幹部を養成する制度のことであり、
1934(昭和9)年に
制度が発足した当初は予科練と同じく
志願を募る形での募集でしたが、
戦局が厳しさを増した
1943(昭和18)年には
学生の徴兵猶予が停止され、
徴兵された二十歳以上の学生の中から
大勢の予備学生が選抜されました。
同年10月明治神宮外苑競技場
(現公立競技場)で挙行された
出陣学徒壮行会の様子は、
志半ばでペンを剣にかえざるを得なかった
学徒たちの姿を今に伝えています。
彼らは短い期間で厳しい訓練を経て
第一線へと赴き、多くの方が
若くして亡くなられました。
2025(令和7)年は
戦後80年の節目の年です。
予備学生制度創設から
90年以上が過ぎた今、
改めて彼らの姿を
多くの方に知っていただき、
戦争と現在の平和について
考えていただけましたら幸いです。」
短い期間で訓練とは、
特攻に必要な訓練のみで、
その他の戦術などは
教える暇は全くなかったと思います。
「お金と時間と人の余裕」こそが
戦争での勝利に結びつくもの・・
米軍のパイロットは、
最前線で戦えば、
たっぷりと休養して、
また戦うのに
日本軍は休養無しで死ぬまで最前線・・
二度とこうならない為にも
先人の姿を知ることは、
大切なことと感じています・・
順路。
展示資料一覧。
胸が苦しくなるものばかり・・
だから素晴らしいのです。
化粧まわし
最後もまた二所ノ関親方のお話です。
展示を見終わって、
情報ラウンジにさしかかった時、
妻の雄叫びが。
「これ見て!ゼロ戦の化粧まわしよ!」
それには富士山の前を飛ぶゼロ戦が描かれ、
僕たちのテンションは爆上がり(笑)
元横綱隆の里の
鳴門親方が考案したもので、
二所ノ関親方(稀勢の里)が三役に
昇進した時に作られたものと
書かれていました。
撮影できないのが残念でしたが、
予科練平和記念館のフィナーレを飾る、
素晴らしい思い出として、
僕たちの心に残っています。