吉浦神社(佐賀県嬉野市)中編
御祭神は藩祖
吉浦神社の御由緒書きを要約すると
「御祭神は、
鍋島蓮池藩藩祖、
鍋島甲斐守直澄公。
その直澄公が亡くなったのが、
吉浦の別館で、
そこで荼毘にふし、
吉浦至誠山(現吉浦神社)の葬った。
延宝八年(1680)庚申、
至誠山、秀天霊社と称した。
文政元年(1818)、
大明神の称号をうけ、以後
吉浦大明神と称し、崇拝された。
明治初年、吉浦神社と称し、
明治十二年には郷社に列せられた。」
このようになります。
徳川家康の廟が、
日光東照宮であるのと同じで、
その「佐賀版」といった感じでしょうが、
「直澄公は島原の乱などでも活躍、
善政を行い領民から深く慕われた」
とも書かれています。
やはりそんな藩主様だからこそ、
神社に祭られ、大明神となったのでしょう。
参道
前編では平坦路のみの参道でしたが、
ここからは石段オンリーです(笑)
石橋の先に建つのは三の鳥居。
ここ渡り、視線を左にやると、
佐賀の神社では定番、
神楽殿が見えてきます。
佐賀県では、神社の
「神楽殿装備率」が高く、
各地で見受けられますが、
どんな理由があるのでしょう・・・
ここ数年来の謎ですが、
未だに解明出来ていません。
三の鳥居からは石段で山登り。
少し登ると右側に広場があり、
ここに祖霊社が鎮座しています。
「明治二十九年十月」
と書かれているので、
日清戦争直後の寄進でしょう。
参拝。
本社よりも境内社が
先になってしまいましたが、
参拝の段取り上
ここは良しとします(笑)
四の鳥居。
風化が進んでいますが、
神額には「吉浦大明神」と
刻まれているようです。
鳥居をくぐるとすぐ右側に
随身門の裏に直接出る石段がありますが、
やはり門は「くぐる」もの(笑)
という訳で、ここからは登らず、
本参道に戻ります。
その後、
先に見えて来たのは・・・
随身門が建つ石垣。
まるでお城の高石垣だ~(笑)
実に立派ですね!
石垣の上に建つ燈籠には、
文政十年(1827)と
刻まれています。
高欄付きの豪華な随身門。
これはくぐり甲斐あるな~(笑)
随身様にご挨拶。
随身様、吽形。
無事、随身門をくぐり終え手水舎へ。
ここには、
同じ形の手水舎・手水鉢が、
左右二つありますが、
僕達は導かれるようにして、
左側を使いました。
手水鉢。
現代的なデザインと思いきや、
さにあらず・・・
文化四年(1807)と
刻まれ、200年以上前のもので、
寄進者の名前「○○兵衛」が
幾つも目に飛び込みます(笑)
コンクリ製に見えるくらいに
綺麗に石を研ぎ澄ました
江戸時代の仕上げは、
なかなかのスゴ技ですね!
石段で拝殿下の段へ。
ここにも盃状穴があるので、
石段は江戸時代のものでしょう。
拝殿下の段に到着。
ここでめっちゃ目立つのが
左右の狛犬です。
全身がウロコで、
犬というか、龍というか、
犬龍というか(笑)
とにかく超個性派です。
吽形。
台座の裏面には、
「大正七年四月」とありましたので、
西暦では1918年、
第一次世界大戦終結の年の寄進です。
神牛。
神牛と並んで、神馬。
拝殿の建つもう一つ上の段へ。
拝殿を背にして、
随身門方面を撮影。
う~ん、素敵な景色だ~!
この後参拝となりますが、
拝殿回りにも見所が多く、
なかなか先に進めません・・・。
(後編へ続く)
Comment
鱗があるのは麒麟です。
コメントありがとうございます!
麒麟ですね!
確かによく見ると麒麟でした!
管理人 山本