神橋(日光二荒山神社)

 

あと一つ

日光二荒山神社の神橋は、

その「はね橋」という構造から、

山口県岩国市の錦帯橋

山梨県大月市の猿橋とともに

日本三代奇橋と呼ばれています。

僕たち、

錦帯橋は以前訪問していますので、

日本三大奇橋制覇という

偉業(笑)達成まで、

あとは「猿橋」を訪問するだけ。

制覇する意志があるか否かは

別としてですけどね(笑)

神橋への道

日光二荒山神社参拝後、

寺社共用の参道で、輪王寺宝物殿へ。

参道。

輪王寺境内。

宝物殿と逍遙園を散策後、

コインロッカーで荷物を回収し、

神橋を目指し出発。

神橋への近道。

「東照宮 輪王寺 二荒山神社 参道」

共有参道らしく

三つの名前が書かれていますね。

ここから道路を渡って、

少し行くと見えてくるのが神橋です。

お〜素晴らしい光景だ〜!

神々しいというか、

そのまんま「神の橋」(笑)

縦位置でも撮影。

神橋

まずは入場料を払います。

「二荒山神橋」の社号表。

この手前には、こんな銅像が・・

板垣退助」像。

案内には、

「明治元年の戊辰戦争の時、

新政府軍の将として、

日光廟に立てこもった

大鳥圭介らの旧幕府軍を説得し、

社寺を兵火から守ったと言われます。」

このように書かれています。

なるほど!

だから、顕彰碑的な意味合いで、

ここに板垣さんの銅像があるんですね。

受付を済ませ中へ。

神橋手前の玉垣。

「神橋」

案内を書き出すと

以下になります。

「朱色の弧を描くこの橋は、

この場所が霊域への

入り口であることを示している。

伝説によると大谷川だいやかわの激流を前に

立ち往生を余儀なくされた

勝道上人しょうどうしょうにん(735ー817)が祈ると、

深沙大王じんじゃだいおうを名乗る

守護神が投げた蛇が橋と成り

向こう岸へと渡らせたという。

現在の橋は明治三十七(1904)年に

再建されたものであり、

秋には川沿いの紅葉が色づき、

神橋との見事な

コントラストを見せてくれる。」

また、

パンフレットの説明を加筆すると

「神橋は、「御橋みはし」「山菅やますげ蛇橋じゃばし

などと呼ばれ、

山間の峡谷に用いられた

「はね橋」形式としては

我が国唯一の古橋であり、

」と呼ばれる大材の端部を

河岸の岩盤に埋め込み、橋桁とする

その特殊な構造が、特徴です。」

このようになります。

ちなみに

輪王寺にある勝道上人像はこちらです

この面魂、神様も

只者ではないことを

悟られたのでしょう!

神橋へ。

昔の写真。

神橋の前を鉄道が

走っていたんですね。

撫でると心が丸く豊かになり

夢が叶うと言われる「なで石」。

さらに奥へ。

ここからは特別感満載。

まずは、橋の手前の

「椿姫明神」にご挨拶。

パンフレットを抜粋すると、

「椿姫神は対岸の深沙大王と共に

男女一対となり橋の守護神として、

橋の恒久的な安泰と

橋を渡る人々の安全を祈っています。

そして、

椿姫神は日光との聖域との間を取り持ち

結ぶ力を持ち、良い縁を結ぶ神様として

多くの人々の崇敬をあつめ、

願いを込めて神橋を渡ると

心が豊かになり元気がでてきます。」

この様になります。

橋の向こう岸には、

案内にあった、

「深沙大王」の社殿も見えています。

渡橋開始。

深沙大王に参拝。

(御社殿の写真は撮り忘れ・・汗)

回れ右。

ツーショットは

やはり橋上で撮るしかない(笑)

帰路。

玉垣前のイベント、良縁の鈴。

やっぱやるしかないでしょう(笑)

椿姫様、よろしく願いします!

与謝蕪村の気分に浸る

玉垣の端っこには、

石碑が一つ建っています。

江戸時代中期の俳人、

与謝蕪村が神橋を詠んだ歌碑で、

案内には次のように

書かれています。

「「二荒や 紅葉が中の 朱の橋」

(現代語訳)

男体山を遥かに拝すると、

色とりどりのもみじの中に、

朱色の神橋が際立っている。」

与謝蕪村さんの

気分に浸ってみようと

男体山を遥拝してみました。

お〜神橋の上に、

男体山(二荒山)が見えて、

実に素晴らしい光景じゃないですか!

紅葉の季節じゃないけど、

「二荒や 新緑が中の 朱の橋」

この句でどうでしょうか?(笑)

神橋、心安らぐひとときでした。

 

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