2021/11/24
榎原神社(宮崎県日南市)後編
古いものがゴロゴロ
神社に行くと、
文化財指定された物や、
そうでないものを含め
何百年も前の建造物が、
ゴロゴロ(笑)している場合があります。
そんなゴロゴロした神社の一つが、
ここ榎原(よわら)神社で、
楼門、鐘楼、本殿、境内社他、
多くの灯籠やお墓などに出逢え、
その殆どは、人知れず静かに
数百年の時を刻んでいる
隠れた文化財の宝庫です。
僕を含めた古いもの好きにとっては、
大注目の神社かも知れませんね。
桜井神社
榎原神社創建の立役者、
内田万寿姫をご祭神としたのが
櫻井神社です。
左側が櫻井神社。
本社を傍で暖かく見守るように
鎮座していて、
思わずほっこりさせられます。
拝殿。
拝殿前の灯籠は、
「萬治二年己亥」
(1659年)の寄進と
江戸時代初期のものです。
万(萬)治元年が、
榎原神社創建の年ですから
創建当時の灯籠がそのまま
令和の今も現役というのは、
かなり凄い事ですね。
対の灯籠。
拝殿の木鼻、
何と伊勢海老なんですよ!!
向かって右側の伊勢海老アップ(笑)
左側の伊勢海老。
こんなデザインになったのは、
日南市の特産品が、
伊勢海老だからでしょうか?
あ~伊勢海老のお造りが、
食べた~い(笑)
拝殿と本殿。
真横から撮影した本殿(左)と拝殿。
本社と思ってしまうくらいな
立派さに息を呑んでしまいます。
境内社
次にその他の境内社へ。
霊社 寿法院殿万寿姫碑。
参拝。
万寿姫さん、桜井神社とともに、
ここ霊社にも祭られています。
住吉神社。
天満神社。
神仏習合的な風景
江戸時代まで、多くの神社は、
神仏習合でしたが、
ここ榎原神社には、
その当時の名残が、
大切に残されています。
桜井神社の左側に設けられた
遊歩道を入ると、
すぐ左側にこんな建物が。
こちらは、屋根に覆われ、
大切にされているお墓です。
「地福寺第一世 精能之墓石」
側面の案内によると
「榎原神社ができる前には、
ここは地福寺というお寺があった。
地福寺開僧(一世)である精能は、
摂社桜井神社御祭神
「内田万寿姫」が、
寛永十七年(1640)
鵜戸神宮へ参籠の帰途、
神がかりの身になりしと時に、
父母の依頼で祈祷をした僧である。
【御利益】
墓石手前にある顔の石像は、
古来、歯痛に悩む人々の
深い信仰の対象として
安置されたものであり、
今日に至るまで
「歯の神様」として親しまれている。」
このように書かれています。
参拝。
墓石と存在感抜群の顔の石像。
墓石の側面には
「明暦二年(1656)申」と
刻まれていますので、
榎原神社創建の二年前に
お亡くなりになっているのですね。
地福寺跡古塚総霊碑(左)と
六地蔵的な石塔。
古いお墓に参拝。
お坊様の名前のようです。
こちらは、
明暦三年(1657)の
碑文があるお坊様のお墓。
木の根っこに寄り添うような石柱。
何を意味しているのでしょうか・・。
境内の木々たち
榎原神社の御社殿の周囲には、
何種類かの
注目すべき樹木が生息しています。
桜井神社本殿横にそびえる
楠木の巨樹と妻。
案内板には、
「御神木 夫婦楠(男楠)
樹齢600年
廻り8m 高さ40m」
このように書かれています。
こちらも楠木。
案内板には、
「御神木 夫婦楠(女楠)
樹齢600年
廻り7.5m 高さ38m」
このよう書かれ、
男楠よりも少し小ぶりですが、
やはり巨樹ですね。
本殿裏のソテツ。
「長寿のソテツ」と
名付けられ、
「ヤマタノオロチを連想させます」
と書かれています。
確かに頭が八つの
ヤマタノオロチに
ちょっと似ているような・・・
「縁結びの木・夫婦の木」
写真付きで紹介されていて、
エノキとイヌマキが巻き付いて
何だか抱擁しているようにも見えます。
う~ん確かに仲良しだ~(笑)
車祓所
「縁結びの木・夫婦の木」の後方に
車祓所の立派な建物があります。
何と太鼓までが常備されていますよ!
車を建物の手前に置き、
オーナーさんは、
床几に座ってお祓いを受けるのでしょう。
とにかく全てに神経が行き届いた
素晴らしい榎原神社さんを参拝出来、
改めて感謝しかありません。
最後に二つの御社殿前で、
ツーショットで〆。
桜満開の駐車場に戻り、
次なる目的地、飫肥城へ。