善通寺(香川県善通寺市)西院編

 

誕生院

善通寺のサイトによると

「鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に

「誕生院」が建立され、

江戸時代までは、

善通寺と誕生院のそれぞれに

住職をおく別々のお寺でしたが、

明治時代に至り善通寺として

一つのお寺となりました。」

このように書かれていて、

その誕生院が今の西院です。

サンドイッチのハム

東院を満喫した後は、

西院の散策に向かいます。

中門から東院を振り返り。

東院と西院の中間、

どちらの院にも属さない(多分)

いわばサンドイッチの

ハムの部分にあるのが、

毘沙門天華蔵院です。

参拝。

同じくハム的な場所にある観智院。

弘法大師像。

西院(誕生院)へ

ハムの部分から(笑)掛けられた

石橋を渡るとようやく西院に入ります。

極楽堀に渡された廿日橋。

「この仁王門前の石橋は、

昔は毎月20日にのみ通行できた

ということから「廿日橋(はつかばし)」と

呼ばれています。」

善通寺のサイトには、

このように書かれています。

仁王門。

「現在の建物は

明治22年(1889)の再建ですが、

金剛力士像は南北朝時代・

応安3年(1370)の製作です。」

(善通寺のサイトより)

吽形。

仁王門の西側には、

大わらじが奉納されています。

東京の浅草寺にも

同じように大わらじが

奉納されていたのを思い出しました。

回廊。

北側からの回廊全景。

南側からの回廊全景。

回廊内には弘法大師生誕から

入滅までのエピソードを

絵にして掲げています。

一部を抜粋してみると・・・

 

ご誕生。

善通寺創建。

高野山開創。

何のワンシーンかと思って

金剛峯寺のサイトで調べると、

「今の大和の宇智郡に入られた時

そこで異様な姿をした

一人の猟師にあった。

手に弓と矢を持ち黒と白の

二匹の犬を連れていた。」

と書かれていて、

その光景が描かれています。

御影堂(みえどう)。

青空に広がるうろこ状の雲が

お堂の屋根を覆い、

より神聖な気持ちになりますね。

 

参拝。

正面右側、

元三大師(良源・慈慧大師)坐像。

正面左側、

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。

撫でると功徳があると

言われるだけあって、

頭をはじめ各所がピッカピカです(笑)

そして、

僕たちは以前、東大寺大仏殿前で

賓頭盧尊者の代表的なものと

出会っていました。

ポーズは全く同じですね。

話は善通寺に戻ります。

稚児大師立像。

木像の稚児大師立像は、

善通寺に保管されているようで、

これはそれを模したもののようです。

境内散策

御影堂を参拝した後は、

広い境内を散策します。

御影池(みかげのいけ)。

以前は佐伯家の庭園だったそうです。

唐に行く前に、悲しむ母を気遣って、

弘法大師が自分の姿をこの池に写し、

自画像を描き、

その絵を母に贈ったという

逸話が残っています。

蓮弁祈願所。

弘法大師像の前は、

弥勒菩薩坐像。

向かって左は

父、佐伯善通(よしみち)、

左は、母、玉寄御前。

鐘楼。

護摩堂。

親鸞堂。

中に入って、

木像の親鸞坐像を拝見しましたが、

写真は控えています。

御影堂バックにツーショット。

慰霊塔など

西院の西側には

いくつもの慰霊塔や

顕彰碑などの建物が集中しています。

納骨堂である光明殿。

国鉄四国総局殉職者慰霊碑。

聖天堂。

乾千太郎翁頌徳碑、遍照閣入り口。

奥へ。

乾千太郎翁頌徳碑。

蛙のオブジェ。

七福神。

パゴダ供養塔。

怨親平等の碑。

西院の西側から境内に架かる済世橋。

正覚門。

涅槃桜

ここで桜が見られるとは、

思ってもみなかった事。

何だかラッキーですね。

涅槃桜の案内。

品名の「ミョウショウジ」は、

愛媛県新居浜市黒島の

明正寺で見つけられた

品種だからと書かれていて、

その明正寺から

善通寺に贈られたのが、

この涅槃桜です。

ソメイヨシノよりも一ヶ月早く咲くので、

僕たちが行った時が見頃でした。

なかなか綺麗ですね!

御影堂近くにも咲いていました。

上品な色合いの花びらに

心癒されますね。

廿日橋横、

極楽堀に鎮座する弁天社。

西院からまた東院に戻って

善通寺駅に向かいます。

 

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