会津藩主松平家墓所・西之御庭
熊さんの気持ち
「熊出没注意」の看板、
会津藩主松平家墓所入口にもあります。
最近では、
青森県の仏ヶ浦でも見たばかりだし
この看板、
最近どこへ行ってもあるので、
正直見飽きています(笑)
でも不思議と全く見ないのが、
「熊出没立入禁止」の看板です。
「注意喚起はするが、
登山も観光もして欲しい」
これが本音でしょう。
まあ、
ありがたいことでなんですが。
ただ、
「人間さん、ここは、
僕たちの生活の場なんですよ〜
いきなり入って来て
ビックリさせないでね〜♪」
な〜んて、
本当に注意喚起したいのは、
熊さんの方かも知れませんね。
会津藩主松平家墓所へ
前回は予定外の訪問で、
山を駆け上り、駆け降りるという
前代未聞の超高速墓参りでしたが、
今回はじっくりと
時間を取っての参拝です。
1年ぶりの再訪ということもあり、
勝手知ったる(笑)駐車場に車を停め、
墓所へと歩きます。
ここを右に曲がり、墓所参道へ。
突き当たりが墓所入口です。
「松平家螢域入口」の標柱。
「螢域」(えいき)というのは、
墓域のことを意味するようですが、
お墓で「螢」という漢字を見ると、
サザンの、「蛍」の歌詞を思い出して
なんか胸にグッと来ます・・
昨年は無かった「クマに注意!!」。
最近、
めっちゃ目撃されているようで、
先に来ていたカップル二人は、
この看板を見てUターンしていました・・
しかし、
僕たちには引き返す勇気がありません(笑)
こちらは以前からある
「熊鈴貸出中」の箱。
昨年はスルーしましたが、
おまじない的な要素も含め、
今回は貸してもらう事に。
人生初、熊鈴装着の妻。
なぜか、
ひょっとこみたいに
おどけています(笑)
今回の目的は二つ。
猪苗代町の土津神社に祭られる
藩祖、保科正之公の嫡男(次男)で、
跡を継ぐ事なく
18歳で亡くなった正頼公のお墓と
戊辰戦争の主役、
9代藩主松平容保公のお墓の参拝です。
西之御庭(にしのおにわ)
まずは、山裾側、入口近くに位置する
保科正頼公が眠る西之御庭を目指し、
熊鈴をチリ〜ン、チリ〜ンと
鳴らしながらからスタート。
この鈴の音、
心に染みて実にいいのですよ。
なんか御霊と繋がっている気がするし・・
熊だって惚れてしまうかも
知れません(笑)
ここは山一つを使った墓域で、
荘厳な雰囲気をダイレクトに感じられ
大名の墓として、
ここまで大規模なのは珍しいのでは
ないでしょうか・・・
冠木門から中へ。
少し行くと
左側に西之御庭への案内が見えてきます。
石段を登り、正頼さんのお墓へ。
石垣は江戸時代初期のものでしょうか・・
意外とあっさり到着。
墓碑の主と関係性など完璧な案内、
実にあり難し!
「西之御庭は、院内御廟でもっとも古く
明暦三年(1657)
初代藩主保科正之の子である正頼が死去し、
その埋葬地に
この院内山が定められました。」
このように記されています。
手入れされ、
大切にされてますね・・
静寂な中に佇む墓碑群。
西之御庭で唯一の神道式のお墓、
保科正頼さんのところへ。
やっとお参りできました・・・
そのほかの墓は全て仏式です。
ここから皆様に参拝・・・
中之御庭(なかのおにわ)
次に、西之御庭から本参道に戻り、
少し行った先にある中之御庭へ。
チリ〜ン、チリ〜ン・・
相変わらず熊鈴の音色に
癒されながら進みます。
熊も僕たちを見ながら、
癒されていたかもですね(笑)
石段を登り奥へ。
中之御庭に到着。
案内。
「中之御庭には、
藩主の家族が葬られています。
寛文五年(1665)に
保科正之にかかわる
徳性院殿と達性院殿の墓がここに
改葬されていることから、
この時期に開かれたと考えられます。
ここには、
正之の五男である正純ほかが
埋葬されています。」
このように記されています。
正面。
まずは右の保科正純さんのお墓へ。
参拝。
中之御庭で唯一の神式のお墓です。
正純さんも正頼さん同様、
父、正之公よりも
早く亡くなっています・・・
保科正之の継室で、
三代藩主松平正容の母の墓と
後ろの皆様に参拝。
この後、次なる目的地、
松平容保公のお墓を目指します。
(続く)