工廠神社・産業神社(呉市)

 

神社跡かも?

潜水艦桟橋のある

アレイからすこじまのすぐ前には、

小高い丘があります。

ここに鎮座するのが、

社号標に工廠神社・産業神社と

書かれた神社ですが、

訪問した感じでは、

「神社跡」のようです。

「工廠神社」という名前からして、

軍艦を作っていた

呉工廠の人達が崇敬していた

神社でしょうが、

もしかすると占領軍から

戦争関連施設として、指定され、

衰退したのかも知れません・・・。

妻の予感

アレイからすこじまの駐車場から

潜水艦桟橋に向かう途中、

見つけたのが、

こちらの石碑です。

「呉海軍工廠 職工教習所 工員養成所

跡地記念碑」

案内を読むと、

この場所から多くの優秀な

技術者が巣立っていき、

恐らく戦艦大和はじめ、

沢山の軍艦建造に携わり、

そこで得た高い技術を以て

戦後復興の担い手とも

なられたことがわかります。

個人顕彰の石碑もいいですが、

名もなき多くの人々を顕彰出来る

この石碑があればこそ、

僕達も先人たちが築いてくださった

今の日本を知る事が出来るのです。

そして、石碑から少し行くと、

こんな石段があります。

妻曰く、

「この上に神社があるんじゃない?」

確かに神社っぽい感じはしますが、

何も書かれていないし、

僕はちょっと否定的でした。

が、しかし、

少し行き右側に回り込むと

あったのです!神社が(笑)

右の大きな社号標には、「工廠神社」、

石段下の社号標には、「産業神社」、

どちらが正しいのかはさておき、

妻の予感は的中!

第六感だけで?生きてるだけあって、

さすがです(笑)

勿論、参拝することに。

(一旦、潜水艦桟橋へ行き、

その帰りがけに訪問)

参道

石段下から参道へ。

「産業神社」の社号標の側面には、

「明治廿四年十月」と

刻まれているように見えますので、

呉海軍工廠が

操業開始した年と同じです。

ということは、

創建当初は産業神社だったものが、

途中から工廠神社へと変わった、

または二通りの呼び名になったのかも

知れません。(あくまでも勝手な推測)

思った以上に長い石段。

ここで出くわしたのが、

「イノシシ」

ではなく、

「イノシシ出没注意」の案内です。

イラスト入りで、

実に分かりやすく、

しかも

「イノシシに出会ったら」

この言葉にはちょっと笑ってしまいます。

「イノシシと遭遇したら」よりも

擬人的で、ユーモアを感じ、

好感持てますね。

いや、そんな事言ってる場合じゃなく、

危険なんですよここは!(笑)

少し登ると、

トーチカを発見!

いきなり戦闘モードに突入(笑)

海軍工廠近くなので、

この山には、

対空兵器も沢山あったのでしょう。

さらに近づいて撮影。

何も管理されていないようですが、

後世の人々に戦争を伝える

貴重なものとして、

ここも「戦争遺跡」として

案内などがあれば、

よりいいと思います。

この石垣と真ん中の石段、

なんだか

マヤ文明のピラミッドを彷彿とさせます。

石段を上り切ると、御社殿が・・・

ではなくて、御社殿跡が・・・

手水鉢。

本殿への石段。

さらに進みます。

石祠というか、

燈籠の笠部分ですね・・・

コンクリブロック+燈籠の笠=本殿

神様はいらっしゃるのか否か、

わかりませんが、まずは参拝。

帰りは妻の予感が当たった石段を使い、

アレイからすこじまの駐車場へ。

工廠神社・産業神社、

できれば、

ずっと残してもらいたいものですね。

 

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