安土城(滋賀県近江八幡市)後編
寺院のある城
織田信長は実利を得るために
キリスト教を保護しながらも
比叡山焼き討ちのイメージとは裏腹に
神仏を重んじていたというのが、
実情だったような気がします。
その最たるものが、
安土城内に建てた摠見寺でしょう。
お城の縄張り内に寺社を配置した例は
他にもありますが、
築城とワンセットでここまでのものを
作ってしまうのは、さすが信長です。
安土城散策のフィナーレを飾ったのは、
そんな「摠見寺跡」で、
いくつかは、創建当時の建物も
そのまま残っていて、
思った以上に楽しめました。
信長公本廟
天主を見た後は、
二の丸に作られた
信長公本廟へと向かいます。
二の丸へ
朝降っていた大雨の名残で、
池が出来ていました(笑)
端っこを選んで歩かなければ
本廟にはたどり着けませんね。
本廟正面のエントランス。
本廟周囲の石垣。
ここから参拝。
魔王殿。
「まおうでん」と読むのかな?
信長=魔王?
そんな意味にも取れそうな・・・。
本廟。
ズームして撮影。
切込み接ぎの石積みで、
江戸時代に作られたそうですが、
詳しいことは不明です。
本廟前のお地蔵様?
摠見寺跡
本廟参拝を終え、
冒頭に書いた摠見寺跡へ。
やはり下りは楽だな~
雲というか、霞というか、
何とも言えず幻想的な雰囲気です。
摠見寺裏門への石段。
ちなみに「裏門」自体は、
ここにはありませんが、
移設され、
滋賀県、超光寺の山門として
現役で活躍しているそうです。
境内。
案内。
多くの伽藍は江戸時代末期に
火災で消失し、
その後は、伝徳川家康邸跡に
仮本堂が建てられ、
現在まで続いています。
本堂跡。
ここも火災で焼けたのですね・・・。
礎石の大きさで、
本堂の規模も推測出来ます。
本堂横からの眺め。
国指定重要文化財の三重塔。
本堂とさほど離れていないのに、
こちらは火災から免れているとは、
運命とは不思議なものです・・・。
この三重塔、Wikipediaによると、
「享徳3年(1454年)建立。
摠見寺創建時に
近江国甲賀郡長寿寺より移築。」
このように書かれていますので、
安土城が出来た時点で、
100年ものの物件だったのですね。
また、
長寿寺のサイトの4コマ漫画を見ると、
「信長に持っていかれた」
と書かれています。
移築=奪う(笑)
これ、戦国の常識でしょう・・・。
ここから下って二王門へ。
二王門内側。
二王門の案内とWikipediaによると、
「元亀2年(1571年)建立。
摠見寺を創建した時に
近江国甲賀郡柏木神社より移築」
このように書かれています。
さらに柏木神社をWikipediaで調べると、
「天正8年(1580年)に
織田信長の軍勢が当地を攻めた際、
旧楼門は安土の摠見寺に移築され、
銘木は持ち去られ、
宝物、古文書、主要建物を焼失した」
な~るほど~(笑)
戦利品だったという訳ですね。
三重塔も同じでしたが、
こんな事は生きるか死ぬかの戦国時代、
普通の出来事だったでしょう。
だから現代の価値観で見てはいけません。
二王門(表側)。
木造金剛力士立像(阿形)
木造金剛力士立像(吽形)。
二王門を後に・・・。
歩いて行くと、
伝羽柴秀吉邸跡に出ます。
伝前田利家邸跡
最後の訪問地は、
伝羽柴秀吉邸跡とは、
大手道を挟んだ向かいにある
伝前田利家邸跡です。
案内。
秀吉邸のように整備されていないので、
草をかき分けての散策となります。
石垣を見て散策は、
あっという間に終了(笑)
やはり二人の写真は、
大手道バックしかない(笑)
料金所へ。
観光客には数人しか出会わなく、
ほぼ城を独占出来、
予想以上に見所盛りだくさんだった
安土城攻城はこれにて完了です。