鑁阿寺(足利氏館)門・鐘楼
日本最古参級の幼稚園
現在稼働している日本の幼稚園で、
最も設立が古いものは、
明治九年(1876)開園の
お茶の水大学附属幼稚園だそうですが、
鑁阿寺が経営されている足利幼稚園も
明治三十四年(1901)の創立なので、
恐らく日本最古参級だと思います。

こちらは西門前の看板です。
実はこの幼稚園設立には、
ちょっぴり悲しいエピソードがあります。
明治時代初めまで、
鑁阿寺の周囲にあった十二の僧坊は、
明治政府の「上地令」で、
その十一坊までが召し上げられ、
一坊だけ上地を免れた場所が、
現在の足利幼稚園なのです。
神仏分離という荒波に飲み込まれ、
廃寺になった寺も数知れずある中、
不屈の精神で立ち向かい、
未来の人材育成をされている
鑁阿寺さんの繁栄を願って止みません。
北門
まずは伽藍図を再確認。

四角形の境内の四方には門があり、
僕たちは南側の山門から
参道に入り、本堂を参拝、
その後、多宝塔、不動堂、経堂、
御霊屋、大酉堂、
大黒堂、蛭子堂と参拝し、
ここから北門へと向かいます。

北門東側の濠と土塁。

北門西側の濠とカモちゃん(笑)

北門正面。

「北門(薬医門)」
「当山開基、足利義兼の子、
足利義氏は父の建てた鑁阿寺維持の為、
堀の外に十二の支院(塔中十二坊)を
鎌倉時代に建て、
その筆頭(塔頭)を千手院とした。
此の門は千手院
(現在の足利幼稚園)の門で、
弘化二年(1845)
卅九世頭來昌上人の再建である。
明治四年千手院を除いて
塔中十一支院を明治政府に上地後、
大正七年四十二世学頭忍者空上人は
此の門を移建した。
薬医門としては、規模雄大にして、
典型的な江戸末期の形式を有している。
昭和六十二年
足利市重要文化財の指定を受く。
令和五年 解体修理を実施した。
真言宗金剛山 鑁阿寺」
以上が記されています。
この案内で冒頭の
悲しい事実を知りました・・・。
ちなみに、
千手院の門をここに移築した
四十二世学頭忍者空上人は、
足利幼稚園の創始者でもあります。

門をくぐり境内へ。

境内側の正面。
稲荷堂
北門を入るとすぐ左手に
稲荷堂があります。

稲荷同全景。

参拝。

出世稲荷大権現の扁額。
これで僕も出世間違いなし!
かなりの遅咲きになりそうです(笑)
東門
次に東門へ。

本坊を囲う竹林が気になります。

妻曰く、
「Mrs. GREEN APPLEのグリーンだ!」
ということで
竹林とのツーショットを撮影。
妻のジャケットもグリーンで完璧です(笑)

東門濠外から。

循環しているのか、
綺麗な水が泡を立て落ちる場所は、
鯉ちゃんたちの遊び場になっています。

「栃木県指定文化財 東門」
「開基足利義兼公の創建といわれるが
永享四年(1432)
公文所奉行の再修になる。
本瓦葺、切妻造り、
四脚門で形状は簡古、手法稚朴であり
鎌倉時代の武家造りの
剛健な風格がしのばれる。
正和年間(1310年代)の
当山伽藍配置図にも
東西の両門が描かれている。
昭和三十二年、国の助成を得て
文部技官杢正夫の指導で
解体修理を実施した。
真言宗金剛山 鑁阿寺」
このように記されています。
この門、600年近くも前の
古いものなのですね!

基礎部分の石積みが凄い!

柱の素朴感がたまらんな〜!
鐘楼
次に鐘楼へ。

ここは庭園になっています。

鐘楼(正面)

「鐘楼」
「一、建久七年(1196)足利義兼建立
一、建築様式 形状簡古、手法稚撲
鎌倉時代の和様、
唐様折衷の代表的禅宗様式、
桁行三間、梁間二間、
袴腰付、入母屋造、本瓦葺
一、明治四十一年、国宝建造物に指定さる。
一、大正五年 解体修理実施
一、昭和二十六年、
○○国重要文化財に指定さる。
一、昭和三十六年 半解体修理実施
一、平成四・五年 半解体修理実施
○梵鐘は元禄時代の再鋳であるが
戦時の供出は歴史資料としてまぬ枯れる。
真言宗 金剛山 鑁阿寺」
このように記されていて、
なんとこの鐘楼、
800年以上も前の建立なんですね!

鐘楼前の木が気になる妻(笑)

枯れそうで枯れない、
妻好みの一本と共に
ツーショット完了。

鐘楼の入口側。

庭園散策。

石橋。

庭園と鐘楼。
西門
庭園から山門を通って、
一旦境外へ出ます。

南側の濠。

山門前の反橋の
リフレクション写真を撮影。

南濠(右)と西濠(左)の交差点。
ここから西門へ。

西門に到着。

濠外から見た西門正面。

やはりここも泡の近くは、
鯉ちゃん達のパラダイスです(笑)

亀ちゃんも歓迎。

カモちゃんも(笑)

西門正面。

「栃木県指定文化財 西門」
「向う側の東門と共に
栃木県指定の文化財である。
本瓦葺、切妻造り、四脚門。
開基足利義兼の創建といわれるが
永享四年(1432)
公文所奉行の再修になる。
形状簡古、手法稚朴、
正に鎌倉期の武家造りの
剛健な風格がしのばれる。
昭和三十二年、国の助成を得て
文部技官杢正夫の指導で
解体修理を実施した。
真言宗金剛山 鑁阿寺」
このように記されていて、
こちらも東門と同じく、
永享四年(1432)の再建です。

境内側から撮影。
東門と基本同型のように見えます。

最後は本堂前に戻り、
ツーショットを完了。
鑁阿寺、僕たちの波長にぴったりの
優しくのんびりした
素晴らしいお寺でした。