備中高松城(岡山市)

 

期待値を凌駕

秀吉の水攻めと、清水宗治の切腹、

中国大返しの起点として

有名な備中高松城ですが、

現在は遺構も多くはないようで、

訪問前、正直あまり期待していませんでした。

そんな低い期待値を見事に裏切って、

感動を与えてくれたのが、

清水宗治自刃の地です。

この戦いの主役であり

勝者は秀吉さんですが、

美味しいところは清水さんが

全部持っていったかも?(笑)

三の丸

駐車場は三の丸の一角にあります。

パンフレットの地図。

僕たちは、三の丸のPから

2、高松城址公園資料館、

6、二の丸、

3、清水宗治首塚(本丸)

4、清水宗治胴塚

5、自刃の地

このような順番で散策しました。

駐車してすぐに目に入るのが、

「水攻め築堤跡高さ表示版」です。

本丸の高さ7mに対し、

蛙ヶ鼻現存築堤高は8.4m。

これで、城が水に沈んだことは

一目瞭然ですね。

史跡の案内。

三の丸跡の案内。

高松城体験コーナー(勝手に命名)。

この中に入ると、

高松城とその周囲の位置関係が

よくわかります。

高松城址公園資料館

次に高松城址公園資料館へ。

三の丸と二の丸の間付近にあります。

「水攻め音頭」の案内。

まさか、秀吉さんも宗治さんも

自分達の真剣勝負が、

こんな音頭になるとは、

思いもしなかったでしょう・・・。

中には清水宗治像やジオラマなどがあります。

二の丸

次に二の丸へ。

高松城懐古の碑。

案内。

「宗治蓮」

案内の全文は以下の通りです。

「古来、本丸と二の丸の間(この池)に

蓮池の地名が残されており、

沼の復元によって

自然に生えたものであります。

星霜四百年、地下に眠っていた蓮が、

再び、立派な花をつけ、

城址を訪れる方々の

目を楽しませてくれることは、

歴史のロマンがあり、

水に守られ、水に散った

城主・清水宗治公と蓮池との

関連を追憶して去り難き感に

打たれるものがあります。」

確かに胸が熱くなる思いですね・・・。

本丸

蓮池に古の思いを馳せたあとは本丸へ。

蓮池に架かった橋を渡ると本丸。

案内。

清水宗治辞世の句。

「浮世をば 今こそ渡れ

武士(もののふ)の名を高松の

苔に残して」

清水宗治公首塚。

首塚の五輪塔。

高松城水攻之図。

秀吉が宗治の切腹を見ている場面です。

本丸。

「清水宗治城跡」の石碑。

長州藩最後の藩主、

毛利元徳(もとのり)の書です。

身を挺して忠義を貫いた清水宗治への

供養とねぎらいの石碑ですね・・・。

ちなみに清水宗治の子孫は、

代々、毛利家の重臣として、

明治まで繁栄しているようです。

藩主も高松城のことは

ずっと忘れなかったのでしょう・・・。

お社にも参拝。

(御祭神は不明)

胴塚

次に胴塚へ。

その前にこんなものを発見。

地図には書かれていませんが、

気になるので行ってみました。

仏様の絵が彫られていて、

大切に祀られています。

こちらは「牛神」と書かれています。

参拝しようと、歩いた瞬間、

僕たちのすぐ左側にいた

一羽のサギが飛び立ちました。

妻のおばあちゃんが、

ここに導いてくれたのかな?

胴塚。

ここに清水宗治公の

胴体が葬られています。

清水宗治公自刃の地

三の丸に戻り、

高松城最後の散策地、

清水宗治公自刃の地へ。

駐車場からは、すぐの場所です。

お寺の入り口。

案内。

顕彰碑。

ここから秀吉の陣が見えています。

宗治公の自刃を

あそこから見ていたんですね・・・

ズームすると幟も良く見えて、

自分が天正十年の

その時、その場所にいる気分に

ひたることが出来ます。

境内へ。

ここが自刃の地。

お参り。

妙玄寺本堂でも参拝。

三つ巴は清水宗治の家紋ですね。

最後に三の丸でツーショット。

これにて高松城散策は完了です。

偶然出会った岡山名物

この日も昼食は、

スーパーで買った弁当ですが、

これが偶然の大当たり(笑)

岡山県に多いスーパー「HAPPYS」

左側の妻が選んだ「えびめし」、

なんと岡山の名物だったのです!

グルメじゃない僕たちの旅で、

こんなものに出会えた妻は、

なにか持ってるかも?(笑)

 

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