智恩寺(京都府宮津市)中編
歴史の坩堝
今回の旅は、
元伊勢籠(この)神社が主目的。
天橋立さえも
どちらかといえば、
サブ的な位置付けです。
なので、
智恩寺に関しては、
「お寺があるんだ」という位の認識で、
時間に余裕があれば参拝するか・・・
くらいにしか考えていませんでした。
ところが、
一旦、三門(山門)を入ると
もうそこは歴史の坩堝!(笑)
予定の時間を遥かに超えて
境内を堪能させていただいたのです。
五輪塔
参道右側の次は
左側の見所へ。
五輪塔。
台座も立派で規模も大きいので、
お寺関係者のものでしょうか・・・
多宝塔
ここには室町時代建立の
古い多宝塔があります。
国指定重要文化財の多宝塔。
「智恩寺多宝塔(室町時代)」
案内を抜粋すると
以下になります。
「本寺多宝塔は、
上重の柱等に記される墨書銘によって、
丹後国守護代で、府中城主
延永修理進春信によって建立され、
明応十年(1501)に
落成したことが知られる。」
今から500年以上も前の
建物ですが、
メンテナンスもされて、
保存状態は良好です。
国指定重要文化財にも関わらず、
崩れかかっている建物などを
見きた僕としては、
嬉しい限りですね!
左斜めから。
素晴らしい多宝塔に感動していたら、
さらなる感動が・・・
多宝塔の縁側で、
爆睡中の猫ちゃん(笑)
起こさないように
ちょっとだけ近づいてみました。
この姿、癒されますな〜!
吉祥弁才天
参道から少し入ったところに
吉祥弁才天があります。
弁才天様の定番「池の中」。
お寺のサイトでは
桃山時代の建物と紹介されています。
「妙音殿」の扁額。
これは素晴らしい名前だ〜!
芸能の神様、弁才天(弁財天)らしく
楽器の美しい音色が
響いてきそうです。
稲富一夢の墓
次はお墓。
稲富一夢の墓
(後方の草に隠れた宝篋印塔)と
お地蔵様。
案内には、
「鉄砲の名手稲富一夢の墓
とされているが、
宝篋印塔の台石には、
「伊州太守秦誉栄門
施主者 羽柴丹後守高知
慶長十六年辛亥二月六日(1611)」
このように刻まれているので、
一夢の墓か、
京極高知が建てた供養塔かは
明らかではない。」
こんな内容が書かれています。
Wikipediaによると
「稲富一夢(祐直)は、
幕府の鉄砲方として、
国友鍛冶の組織化にも尽力。
慶長9年と同15年(1610年)に
家康、秀忠に招かれて、
砲術の秘訣を伝授している。
その後は、
松平忠吉や徳川義直に仕えた。
祐直から鉄砲の指南、
奥義を受けた者には、
家康、秀忠、忠吉、
伊達政宗、浅野幸長ら大名、
兵学者岡本半介などがいる。」
このように書かれています。
一夢さん、
かなり凄い人だったんですね!
鉄湯船(手水鉢)
智恩寺の推しポイントの一つは、
国指定重要文化財の手水鉢で、
お手水ができること。
手水鉢は、
松の木の下に安置。
あみくじの扇子。
手水鉢の風景に溶け込んで、
素敵な演出となっています。
「鉄湯船(鎌倉時代)」
案内を書き出すと
以下になります。
「現在手水鉢として
使用されているこの鉄盤は、
本来湯船として制作されたものである。
湯船は寺院の大湯屋において
寺僧の施浴に用いられたものである。
この湯船には銘文が鋳出されており、
そこからこの湯船は、
もとは興法寺(現竹野郡弥栄町)のために
鋳造されたことがわかる。
同様の湯船は
成相寺(宮津市)にも遺されており、
ともに銘文から、正応三年(1290)、
河内国の鋳物師、
山川貞清により制作されたことが知られる。
いずれにしても、このような古式の湯船が、
現在二つも宮津市に遺されていることは、
珍重すべきことであり、
また中世鋳物資料として、
全国的にも極めて貴重な遺品である。」
凄いじゃないですか!
700年前の人が使っていた湯船で、
お手水が出来るんですから
本当にビックリ&感動ですよ!
清浄な水を湛えた湯船、
いや〜心洗われますな〜!
龍の蛇口は令和元年、
住職さんの奉納です。
水紋がまた綺麗だ〜!
湯船に飛び込んでしまいたい程です(笑)
妻は飛び込んでません(笑)
(続く)