千栗八幡宮(佐賀県みやき町)後編
初参拝みたいな新鮮さ
千栗八幡宮への参拝は、
10年近く前に一度していますので、
今回で二度目です。
しかし、10年という歳月は、
僕の記憶を大いに奪い去っており、
ほぼ初参拝に近い新鮮さでした。
記憶が消えていく事は、
決して悪いことばかりじゃないと
改めて思った次第です(笑)
本殿
現在の千栗八幡宮の御社殿が、
いつ頃建てられたものかは
分かりませんが、
規模も大きく、美しくメンテナンスされ
素晴らしい景観です。
拝殿左側から本殿へ。
手前は御饌殿でしょうか?
本殿。
右側から拝殿と本殿。
本殿右後ろから。
本殿参拝後、
拝殿前にてツーショット完了。
お粥堂
千栗八幡宮で
有名なお祭りと言えば「お粥試」。
お粥に生えたカビの具合で、
一年の天候や、
農作物の出来具合などを占う神事です。
拝殿右手前が、
お粥試が行われるお粥堂。
クスノキの御神木とお粥堂。
正面。
案内。
お粥の器を乗せて占う台座。
こちらは本殿横に建つ、
「御粥炊處」。
ここでお粥を炊き、
神殿で保管し、当日を迎えます。
御神木
次にお粥堂の後ろ、
本殿右横のオオクスへ。
妻を入れて大きさの比較。
樹齢400年。
根っこは枯れているようでも
枝葉は生い茂っていて、
大いなる生命力を感じます。
裏側から見ると、
まさに本殿とお粥堂を抱え込んで
守っているかのようですね。
武雄神社
御神木でパワーを頂いた後は、
境内社の武雄神社へ。
武雄神社。
主祭神は、
佐賀県武雄市の武雄神社の
御祭神の一柱でもある
武内宿禰命の御子、
武雄心命(たけおこころのみこと)。
ここでの見どころは、
何と言っても寛政六年
(1794)奉納の狛犬です。
阿形。
正面から。
そして、大注目がこちら・・・
超個性派の吽形。
芋虫のような胴体に、
何とも愛らしいポーズと表情です。
正面からだと
お顔をスリスリしたくなります(笑)
佐賀県ではこのタイプの狛犬を
たま~に見ていますが、
ここまでの愛らしさは
ちょっと珍しいかもですね。
展望スポット
千栗八幡宮には
肥前鳥居、肥前狛犬、クスノキの巨木、
武雄神社の狛犬、お粥堂など、
あまたの見どころがありますが、
何と、展望所までが準備されています。
宝篋印塔の向こうに見える展望所。
展望所からの風景。
う~ん、爽快な気分!
満開の桜並木が美しい
沼川(ぬまがわ)が、
福岡県と佐賀県の県境で、
手前が佐賀県みやき町、
川向うが福岡県久留米市です。
そして、この展望所を下から見ると・・・
何と、15m位の高さの絶壁なのです!
展望台からは久留米が一望出来るのは、
佐賀藩と久留米藩の
藩境(国境)を見張るという意味も
あったと考えられますね。
案内板。
「北茂安町」の名前が目に止まります。
案内の後半には、
「町名の由来は、
土木・治水に功績のあった偉人、
成富兵庫茂安公の名にちなんだものです。」
このように書かれています。
成冨さんは、
戦国時代は多くの戦で功名をあげ、
江戸時代に入ると、佐賀藩に於いて
多くの治水事業を成し遂げた稀有な人。
以前僕たちが訪問した
石井樋をはじめ、蛤水道、三千石堰、
永池堤、桃の川の馬頭など、
数えればきりが無いほどです・・・
その成富さんの
代表的な治水事業のひとつが、
千栗八幡宮の近く、
筑後川の西岸に造った、
「千栗土居」で、現在は公園化され、
12Kmあった土居の一部が残され、
町をあげて成富さんを
顕彰されています。
鳩森稲荷神社
次に鳩森稲荷神社へ。
樹齢250年ほどのクスノキに守られ、
お稲荷様が鎮座しています。
由緒書きには、
「養父の郡司壬生春成が此の地に狩猟の折、
弓の上に鳩がとまった故事によるもので、
鳩は八幡さまのお使いである。
その夜の夢枕に八幡境内に
千本の栗の木が植えてあるのが表れ、
一夜にして栗林が現れたと云う。
故に鳩森稲荷神社と云う。」
このようになります。
参拝。
石祠群
神社裏手の石祠へ。
参拝。
禊場
参拝を終え、に沼川近くの禊場へ。
石段上から見た
慶長十四年(1609)
鍋島直茂公寄進の肥前鳥居。
道路を渡って、川岸を見ると、
鳥居が一基立っています。
鳥居の先に石段があり
そこで禊が出来る感じになっています。
川を背にして、境内方面を撮影。
昔は、ここで禊をして、
神社へ参拝や神事に
臨んだのかも知れません。