中尊寺(岩手県平泉町)弁慶堂
中尊寺は広い
金色堂で有名な中尊寺。
なんとなく、
こじんまりしたお寺なのかな〜と
勝手にイメージしていたら
その真逆でとにかく広く、
長い参道には多くの伽藍が建ち並び、
金色堂に到着するまでには、
相当な歩数となります(笑)
寺頭
まずは中尊寺でいただいた境内図で確認。
参拝ルートは右側の県道300号沿い、
武蔵坊弁慶の墓(地図には無い)の先が、
中尊寺の境内入口で、
「月見坂」沿いに散策します。
エントランス。
ここから入口右側の石仏へ。
寺頭に鎮座しているので、
神社で言えば、
祓戸社的な存在と勝手に認識し(笑)参拝。
八幡堂
石仏をお参りして
心を整えた(はず?)の僕たち、
ここからは坂三昧となります(笑)
月見坂。
参道左側に
「月見坂 八幡堂」の表示を見つけ、
行ってみることに。
石段の突き当たりで出会ったのが、
こちらの仏様です・・・
お顔は分かりませんが、
とにかく参拝(笑)
結ばれたおみくじの数からして、
何か相当なご利益がある気もしますね。
「八幡堂の由来」
一部を抜粋すると
以下になります。
「天喜五年(1057)
鎮守府将軍源頼義、義家、
安倍氏追討のためこの地に至り、
ここ月見坂で戦勝を祈願しました。
いわゆる前九年の戦です。
かくて勝利の記念に
京都石清水八幡宮から迎えたのが
鎌倉の八幡宮です
(後、それを頼朝が鶴岡に移建)
鎌倉時代「吾妻鏡」のなかに
「中尊寺年中恒例の法会」として
「八月放生会」と見え、
当山におけるその神威の主要なることが
うかがわれます。」
参拝。
真横からの方がイケメンかな?(笑)
弁慶堂
月見坂に戻り、さらに上へ。
石垣の石は近くを流れる
北上川の河原石でしょうか?
関所(笑)を通過。
この先左側に見えてくるのが、
こちらの案内です。
弁慶堂。
本尊は「勝軍地蔵菩薩」と
書かれています。
これって徳川家康が
戦いの時、常に身につけていたのも
勝軍地蔵菩薩と同じですね!
ちなみに、こちらは浜松市の
犀ヶ崖資料館で撮った
家康さんの勝軍地蔵菩薩です。
このお地蔵様、
勇猛な弁慶さんにもお似合いでしょう!
石段で中へ。
顔出しパネルは、
やってみる派です(笑)
参道。
お寺ではこんなカラフルな旗を
よく見かけます。
由緒。
少し読みやすいようにして
書き出してみます。
「この堂は通称弁慶堂という
文政九年(1826)の再建である
藤原時代五方鎮守のため
火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を
祀り愛宕宮と称した
傍に義経公と弁慶の木像を安置す
弁慶像は文治五年四月
高館落城と共に主君のため最後まで
奮戦し衣川中の瀬にて立往生悲憤の姿なり
更に宝物を陳列。
国宝の磬(きん)及び安宅の関勧進帳に
義経主役が背負った笈(おい)がある
これは代表的鎌倉彫である。」
大きくて立派な弁慶堂。
彫刻が繊細で、
実に素晴らしい!
参拝。
左斜めから撮影。
左後からも撮影。
ここには展望台もあるんです!
中尊寺東側の風景。
北上川も見えていています。
この景色、弁慶さんや義経さんも
見ていたのでしょうか・・・
弁慶堂下の案内。
ここからリスタート、
まだまだ先は長いぞ〜(汗)
(続く)