鶴岡八幡宮(鎌倉市)後編

 

御由緒

鶴岡八幡宮で頂いた

「参拝のしおり」の由緒を

要約すると

「康平六年(1063)

源頼義が奥州を平定して鎌倉に戻り、

材木座に源氏の氏神として

八幡宮をお祀りしたのがはじまりです。

その後、建久二年(1191)、

源頼朝公が、上下両宮の

現在の姿い整えられました。」

このようになります。

源頼義さんはやはり

源氏のヒーローなんでしょう!

前九年の役での大活躍が、

源氏での「立場」を決定づけています。

頼義さんは過去の旅でも

たびたび(笑)出現している

僕にとっての有名人。

頼義さんの館跡に建てられたという

滋賀県の宇佐八幡宮はじめ

静岡県の事任ことのまま八幡宮

香川県の琴弾ことひき八幡宮など、

神出鬼没ですからね(笑)

舞殿(下拝殿)

参拝のしおりには写真付きの

境内案内図があるのが

有り難いことです。

境内図。

番号順に説明書きもありますが、

ここではカットしています。

参道からの景色。

鎌倉駅からの道は曇り空だったのが、

鶴岡八幡宮の境内にさしかかった時、

本宮(上宮)上空の雲が切れ

だんだんと青空に・・・。

ありがとう!八幡大菩薩様(笑)

手水舎。

コロナ対策でしょうか、

水は出ていませんが、

寛文七年(1667)寄進の

手水鉢に出会う事ができ、

僕だけが大喜び(笑)

自祓い所。

季節を問わず、

茅の輪くぐりが可能な施設。

(僕たちはやっていません)

舞殿(下拝殿)。

「参拝のしおり」には、

以下のように書かれています。

「静御前が義経を慕い、

舞を舞った若宮回廊跡に建ち、

下拝殿とも称し、

神事、結婚式等を行います。」

なるほど!

だから「舞殿」なんですね。

舞殿と本宮の楼門。

親銀杏と子銀杏

本宮への石段を登る前に、

パワースポット的な場所へ。

「親銀杏(大銀杏)と子銀杏」

「参拝のしおり」によると、

「樹齢1000年を数える大銀杏は

平成22年3月に強風の為

倒伏しましたが、

その後根本からひこばえを確認、

現在も順調に成長しています。」

このように書かれています。

鶴岡八幡宮の大銀杏の倒伏は、

当時大きなニュースになっていたので、

僕も覚えています・・・

倒伏したとはいえ、

源頼朝や政子、

実朝や公暁も見たであろう

大銀杏の姿を見られたのは、

有り難い限りですね。

本宮(上宮)

次に本宮へ。

石段。

楼門。

鳩マークの「八」。

この扁額の鳩の形から

鎌倉名物の「鳩サブレー」は出来たとか。

振り返って撮影。

東側回廊。

西側回廊。

楼門前でツーショット完了。

丸山稲荷社

次は本宮西側の境内社へ。

丸山稲荷神社。

案内を要約すると

以下になります。

「建久二年(1191)の

本殿鎮座以前から

この地に祀られていた地主社である。

室町期の神社建築の

違例として高く評価されており、

境内に現存する最古の建造物であり

国指定重要文化財となっている。」

案内を読み、少し石段を上ると、

こんなものを発見!

「奉納 東京都 蛭子能収」

蛭子能収って、

漫画家・タレントの「蛭子さん」かな?

妻と顔を見合わせながらも

やはり「あの蛭子さん」で

間違いなしと決定!

前日に参拝した伊豆山神社では、

小泉今日子奉納の鳥居にも出会ったし、

芸能人とご縁のある旅になっています(笑)

本殿へ。

参拝。

若宮(下宮)

次に石段を降りて若宮へ。

御社殿。

案内。

現在の社殿は、

寛永元年(1624)の建立と

書かれています。

徳川将軍は3代家光さんの時代。

源氏の血筋である(とされる)

徳川家ですから

家光さんもこの若宮建立には、

絡んでいるかもですね。

若宮の右横にそびえる柏槇びゃくしん

「参拝のしおり」には、

「実朝公お手植えの木で、

種苗は宗より取り寄せられたと

云われています。」

このように書かれています。

白旗神社

次に本宮東側に鎮座する白旗神社へ。

専用参道の入口。

参道左側の由比若宮遙拝所。

参道右側の鶴亀石。

案内を書き出すと

以下になります。

「記

相模国風土記稿に

水をもって石面を洗う時は

鶴亀の紋様が輝きあらわれると記され

大変 めでたい 石である。」

なんか、

水をかけて鶴亀を見たくなります(笑)

もうすぐ御社殿。

お手水完了。

御祭神は、源頼朝公と実朝公です。

黒塗りに金色の笹竜胆ささりんどうの神紋。

お洒落な拝殿です。

参拝。

畠山重忠邸址

白旗神社の参拝で、

鶴岡八幡宮を一旦離れ、

源頼朝の墓などがある

東側へと向かいます。

流鏑馬馬場。

この東側から

境内を出ると目の前に

石碑の案内を発見。

右が流鏑馬馬場東側の鳥居、

左端が石碑。

「畠山重忠邸址」

へ~!!

ここに畠山さんのお屋敷があったのか!

お家が鶴岡八幡宮のお隣とは、

やはり重臣だったからでしょう。

畠山さんのお屋敷なんて、

全く意識していなかっただけに

感激もひとしおです(笑)

僕たちはこの春、偶然にも

重忠さんのお墓にも参っていますし、

これも、

畠山さんの引き合わせなんでしょうか?

今日の御朱印

参拝前に社務所で

授与していただいた御朱印です。

書き置きですが、

台紙が透かしの入った

上品な和紙で、

高級感溢れていますね!

 

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