三日月の滝(大分県玖珠町)
三日月と言えば・・・
僕は目の前の出来事とは
何の関連がなくても
思い出すシーンが時々あります。
「三日月」と聞くと、10年ほど前、
戦場カメラマンの渡部陽一さんが、
バラエティ番組に出演中、
「好きな曲は?」と聞かれて、
あの、まったりした口調で、
「み・か・づ・き」(絢香の)と
答えたシーンをどういうわけか、
思い出してしまうのです。
そしてその後に続き、
僕の頭に歌のサビの部分、
「♪き~み~がいないよ~るだって
そうno more cry~♪」
が、流れて来ます(笑)
僕にとって絢香の三日月は
渡部陽一さんと一体化して
離れられない存在かも知れません。
また、今回の「三日月の滝」は、
歌詞の内容とはかけ離れた
悲恋、悲劇の舞台なのですが、
それでも僕の頭には、
戦場カメラマンが駆け回っています(笑)
滝の西側
まずは、瀧神社が鎮座する西側から
滝の散策を開始。
もうすぐ社頭です。
案内。
超要約すると
「平安時代、醍醐天皇の御孫姫
小松女院は笛の名手、清原正高と
恋をしますが、身分の違いもあり、
正高卿は豊後の国に配せられるも
何年か経った後、
小松女院と侍女11人は京都から
ここまで正高を慕って来るも、
時既に遅し・・
彼は地元の女性と結ばれ
子供にも恵まれていたのです。
この話を聞いた小松女院は絶望し、
侍女たちとともに、この三日月の滝に
身を投げてしまいました。
その後正高は鎮魂のため、
ここに墓を作り、神社を建てました」
このようなお話になります。
笛の名手なんて言えば風流ですが、
今で言えばロックスターのようなもの、
平安貴族女子が
キャーキャー言って、
めっちゃ女性にモテたに違いありません。
そんな正高の立場からして、
ブイブイいわせていた頃の
元カノが、都からはるばる
自分を訪ねて来たなんて、
奥様にどんな説明をしたのかが
ちょっと気になる伝承でもあります。
ここから滝の淵まで降りてみます。
鳥居の前に建つ、
小松女院の「かかし」。
少し降りて振り返ると、
僕たちに手をふって
くれているようです(笑)
滝壺付近。
移動して下から撮ると、
簾(すだれ)のように流れる滝から
マイナスイオンを
たっぷり浴びる事が出来ます。
瀧の東側
滝は西の神社側からは
滝淵に近づけ、
反対の東側からは逆に、
滝を俯瞰(ふかん)出来、
一つの滝をダブルで楽しめるのが、
ここのお勧めポイントです(笑)
西側の案内と同じ内容ですが、
文章とともに、
分かりやすい平面図が付いていて、
初めて来る僕たちには、
実にありがたい案内板ですね。
ここから見ると、
まさに「三日月」ですよ!
やはり流れのある風景は動画が一番。
そして、ここの横は公園になっていて、
僕たち以外にもこんな人?たちが
楽しんでいました。
ベンチで寛ぐ人(笑)
絵を描いている人?
家族連れ!
そして、最後は・・・
二人連れ(笑)
今から3年前(2017年)の僕たち。
やっぱり若いな~(還暦前ですが 笑)