一夜城(福岡県嘉麻市)

 

偶然の産物

2018年10月12日、13日、

一泊二日の奈良旅行から帰って、

二週間後の10月27日、

僕たちは大分県の玖珠町へ

日帰り旅に出かけました。

その行きがけに偶然目に飛び込んできたのが、

道端に立ててあった、こちらの幟です。

「一夜城」

全くの偶然ですが、この日は、

一夜城祭りの日なのでした!

益富城

一夜城の舞台となっているのは、

道路横の山にある史跡、

益富城に立てられた天守です。

僕たちは以前このお城と周辺を

ゆっくりと時間をかけて散策していて、

石垣などの遺構が沢山残った

素晴らしい史跡であることを知っていたので、

その益富城の一夜城まつりの日に

偶然ここを通ったことを

大いに喜びました(僕だけが?笑)

このお祭りの元となったエピソードを

ウィキペディアから抜粋します。

「豊臣軍が九州征伐で秋月氏が守る

岩石城(がんじゃくじょう)を

わずか1日で陥落させたことにより、

秋月氏は益富城を破却して

本拠の古処山城へ退却した。

が、翌日の夜、古処山城から見下ろした

大隈(お城周辺の村)は火の海であった。

(実際は篝火で火災ではなかった)

そのうえ夜が明けると益富城は

見事に修復されていた。

これに騙された秋月氏は

戦意喪失し、降伏した。」

これを一夜城と言い、

今のお祭りとなったわけなのです。

実際のお城は障子などを張り合わせた

「ハリボテ」だったのですが、

遠方から見た秋月氏には

本物の城に見えたのでしょう。

秀吉特有の「圧倒的な強さを見せて

戦わずして敵を降伏させる」

この戦術の典型的なやり方が

ここ益富城で行われたことは、

今の嘉麻市にとっても

有り難い事ですね(笑)

一夜城の遠景。

ズームで撮影。

もちろんこれも「ハリボテ」ですよ!

さらにアップ。

なかなかしっかり出来ています。

ちなみに益富城は黒田家の城の一つで、

最後の城主は「黒田節」で有名な

母里太兵衛でした。

嘉麻市を過ぎて、山を超えた東峰村の

道の駅に貼られていた一夜城祭りのポスター。

一つだけ違和感を感じたのは、

この案内には主役であるはずの

「益富城」の名前が一切無い事です。

宣伝なんだから一夜城以外の日にも

嘉麻市に観光に来てもらえるよう

もっとPRしたらいいのに・・・

しかも嘉麻市には、この戦いの褒美に

村人たちが豊臣秀吉から拝領した

華文刺縫陣羽織(かもんさしぬいじんばおり)

という国指定重要文化財があるのですから。

そんないらぬ心配までした僕です(笑)

そして、この日の帰り道、

お祭りは終わっていましたが、

ライトアップは鋭意継続中でした。

山の上が光っていますね!

肉眼ではよく見えたのですが、

写真ではこんな感じです(汗)

ズームして撮影。

なんとかお城の形がわかります。

感度を上げたので粗い画像になりましたが、

なんかこちらの方が、本物っぽいかも?

旅の始まりと終わりを素晴らしい演出で

僕を大いに楽しませてくれた

益富城と嘉麻市に感謝です。

 

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