大分八幡宮(福岡県飯塚市)後編
御由緒
神社に行く時、
その御由緒に興味津々、
ということは、あまりありません(汗)
目に見える「古いもの」探しに
奔走するあまり、
案内を見落とす事もしばしば・・・。
ただ、この大分八幡宮の御由緒は、
やはり避けて通れないほど
深いのものなので、
いつものようにWikipediaから
拝借させていただきます。
「『筥崎宮縁起』(石清水八幡宮記録)
によれば、平安時代の
延喜21年(921年)箱崎浜
(現福岡市東区箱崎)への
遷座の託宣があって、
延長元年(923年)に
遷座したのが筥崎宮の始まりであるとし、
宇佐神宮の託宣集である
『八幡宇佐宮託宣集』にも
筥崎宮の神託を引いて、
「我か宇佐宮より穂浪大分宮は
我本宮なり」とあるが、
筥崎宮へ遷座した後も
九州五所別宮の第一社として
篤く信仰されていた。」
筥崎八幡宮の古宮であり、
宇佐八幡宮の元宮とは、
凄すぎますね。
ただ、これを前編で書かなかった僕は、
やはり御由緒に興味が薄いのかも(笑)
境内社など
本殿に参拝したあとは、
境内社を巡りますが、
その前に、社務所の紹介です。
めっちゃ渋いデザインの社務所に
ちょっと感動してしまいました。
右に併設された「悠久舎」とは、
神輿庫みたいなものでしょうか。
生目神社。
「かげ清く
照らす生目の水かがみ
末の世までも くもらざりけり
これを三回となえる」
案内にはこのように書かれています。
う~ん、となえるの忘れた(汗)
大神宮へ
石段で上って社へ。
大神宮に参拝。
ここから見るご社殿はまた格別。
天満宮。
天満宮に向かって右側に建つ、
寛保二年(1742年)寄進の灯籠。
徳川吉宗の時代ですよ!
左側の灯籠は、
天明二年(1782年)の寄進。
参拝。
御祭神不明の境内社。
参道横の藤棚の横に
赤い鳥居が見えています。
ここを進むと、見えてくるのが、
こんな光景です。
何と、池の中に半分沈んだ灯籠が!
ここに灯籠を建てた
理由はいったい何なのでしょうか?
ズームで撮影。
池の前に建つ石の三重塔。
神仏習合時代の名残でしょう。
池では鴨も遊んでいます。
ようやく池の中に鎮座する
「市杵島神社」へ。
池の中の社。
石橋を渡って島へ。
参拝。
ここで注目なのが、
この賽銭箱。
なんというデザイン!
素晴らしいじゃありませんか!
今まで見た賽銭箱でも
トップクラスに秀逸なものですね。
一の鳥居近くの境内社。
猿田彦大神。
産湯の井戸。
案内には、
「神功皇后、応神天皇が
この大分の行宮に留まっておられた時
応神天皇の産湯に使われていた
井戸と伝えられている」
こう説明されています。
「史蹟 大分宮演舞殿由来記」
享保年間よりここには舞殿があり、
「放生会の
獅子舞流鏑馬官相撲御神楽など
地方よりの参詣の人波は
賑ぎんを極めて・・・」
このように書かれています。
残念ながら、建築物は戦後
老朽化により取り壊れたそうです。
御神木
大分八幡宮の景観を作っているのは、
境内に生息する何本かのクスノキで、
その中でも群を抜いて存在感を放つのが、
手水舎前の大きなクスです。
東門附近からの遠景。
近寄ると、大迫力に。
参道正面、三の鳥居手前から。
福岡県指定記念物の石柱。
大きさの比較写真。
妻は御神木よりも
かなり手前に立っているので、
実際の巨木感は出せていないかな?
玉垣の中へ。
巨木パワーをいただく妻。
神社に詳しい知り合いの方が言うには、
幹に注連縄が巻かれている場合、
注連縄よりも上部は神域として、
敬意を表し手で触れたりはせず、
注連縄より下部から力をもらうのが、
御神木との付き合い方だそうです。
幹のくぼみには石の御神体?が。
幹のゴツゴツ感が、
この木の歴史を感じさせてくれますね。
その他のクスノキ
東門近くにそびえているのが、
こちらのクスノキ。
樹齢は300年前後でしょうか?
スマートな枝ぶりが特徴です。
二の鳥居附近のクスノキ。
主幹が折れた跡なのでしょうか、
古木感満載ですが、
樹勢は若木と変わらないくらいあり、
「まだまだ若いもんには負けんぞ」
そんな言葉が聞こえてきそうです。
今日の感動
手水舎の後ろに建てられた
石碑に感動しました。
「応召銅馬之碑」。
裏面の説明。
この台座の上には銅馬が
奉納されていましたが、
戦時中、金属供出によって、
「応召」され、
ここにはいなくなりました・・・
その銅馬と、奉納した故人を弔う為に
かつて銅馬が乗っていた礎石に
この石碑を建てたということです。
銅馬でありながら「応召」という
人に対するのと同じ言葉を使い、
しかも銅馬まで弔う気持ちというのに
胸を打たれました・・・。
何事もこのような気持ちで
接して行きたいものだと
感じ入った次第です。
その銅馬の代わりには
なれないものの、
今、境内にはこのような馬がいます。
「世界平和」と台座に刻まれた白馬。
「応召」などという悲しい事が起きない、
平和な世界を望んでいる
銅馬の姿が目に浮かびます・・・