末廣神社(大分県玖珠町)前編

 

城への執念が作った日本最強の神社?

関ヶ原の戦いで西軍について敗軍となった

来島康親(くるしまやすちか)は、

水軍の根拠地でもあった、

伊予国来島の領地1万4千石を

没収されたものの

大名として生き残りに成功、

1601年、豊後森にやってきた時、

故郷のご祭神であった

大三島の大山祇神社の御神霊を

陣屋の屋敷内に

三島神社として祭ったのが、

末廣神社のはじまりです。

この来島康親は大名でありながらも

「城」を持つことを許されず、

背後にあった角牟礼城も使えず、

「陣屋」(館の大きいもの)と呼ばれる

政庁を本拠としていたのです。

その後、8代藩主の

久留島通嘉(みちひろ)が、現在の場所に

三島神社(現在の末廣神社)を建てる際、

まるでお城のように壮大な石垣を巡らし、

趣の違った三つの庭園も作るなど

一大事業を成し遂げたのでした。

その遺構が当時のまま残った事で、

庭園は「旧久留島氏庭園」として

国指定名勝の指定を受けています。

末廣神社は、御社殿だけでなく

鎮座地である末広山を使った

広大な敷地と

周囲の石垣や庭園も含めて

一体となっていているのです。

幕府に対しては、

「神社を作る」許可をもらいながら

石垣その他、神社なの?城じゃね?

というものもひっくるめて作ってしまい、

平時には庭園をめでて優雅に、

いざ戦いとなったら

境内を取り囲む石垣は

鉄壁の守りとなるという構想が

あったか無かったかは別として、

地方の小さな神社の

イメージとは全くかけ離れた

日本最強(かも?)の神社が

ここに完成したのです。

いつかはお城を持つという久留島氏の

悲願が達成されたとも言えるでしょう。

末廣神社へ

庭園の一つが三島公園の一角にあり

その庭園の池の右端から

神社につながる参道があります。

参道手前にある大きな石は

「喜藤次泣かせの石」と言われ、

長尾喜藤次は、

三島神社大改修時の人夫頭で、

巨大な石(この石)を

御殿裏御門前まで運んだが

それ以上全く進まず、

地団駄を踏んで泣き出したというお話。

山伏の祈祷により

めでたくこの地に置かれたそうです。

趣のある石畳の参道。

石垣も立派で、まるで登城口のようです。

途中にある鐘櫓(やぐら)跡。

普通なら「鐘楼跡」ですが、

「櫓」ですからね(笑)

思わず

あ~やっぱり

久留島通嘉は、

お城を意識していたんだ~!

と納得。

鐘櫓から振り返ると、

敵の情勢が・・・(笑)

石畳の間に苔が生えて、

よりいっそう素敵に見えますね。

御社殿下の「石垣」。

ここを登り切ると、右に本殿が、

左には栖鳳楼(せいほうろう)という

本殿とは別の建物があります。

栖鳳楼の案内。

参道から見た栖鳳楼。

実はここ、二階で、

この反対側には眺望が開けた部屋があり

その前は庭園が広がっています。

こちらが正面。

この二階が参道に面していて、

一階は茶室となっています。

200年近く前に建てられたものですが、

大切にされているようで、

綺麗な景観を保っています。

庭園の風景。

下には城下町が一望出来、

遠くには九重の山並みまで見渡せる

計算しつくされた場所であり設計です。

庭園の案内。

石垣といい、

お城の天守の代用となりそうな

栖鳳楼といい、

末廣神社は、ここまででも

十分堪能出来ます。

拝殿、本殿

栖鳳楼と参道を挟んだ反対側に

神社への鳥居があり、

ここをくぐると社殿はすぐそこです。

拝殿が少し見えていますね。

なんだかお城の本丸に向かう気分?(笑)

お~イチョウが綺麗だ!

いい具合に葉っぱが散っていて、

黄色の絨毯っぽくなっているのは

ラッキーかも!

昨年の4月に参拝したとき、

イチョウは葉っぱが落ちて

木の枝だけでしたから。

(落葉樹なので当たり前ですが)

拝殿。

御祭神は三島神社の大山積神以外に

明治時代に合祀した妙見宮の

天御中主神の二柱となっています。

日本一大きな手水鉢。

なんと、巨岩をくり抜いて

作っているのが凄いです。

大きさの比較写真。

手水鉢に向かうまでの

二つの石もかなり巨石ですし、

何だか小人(こびと)が、

お手水をしている姿に見えて、

ちょっと笑ってしまいました。

参拝。

神額には、

勧請元である愛媛県大三島の

大山祗神社と全く同じく、

「日本総鎮守」

「大山積大明神」

と書かれています。

社殿風景。

右手前が拝殿、左奥が本殿。

どちらも約200年前の建立です。

本殿は覆屋にすっぽりと

囲まれていて直接は見えません。

覆屋にも拝殿と同じ文字の

神額が掲げられています。

覆屋と本殿を総称し

「鞘堂」(さやどう)といいます。

間違って「たこどう」と読んでしまいそう(汗)

その案内には、

内殿を包むように外殿が覆っているので、

「鞘堂」と呼ばれていると書かれています。

鞘か~なるほど!

鞘堂とイチョウ。

裏側からの鞘堂(本殿)

ほんどに大きく立派でカッコいいですね!

鞘堂の正面。

背後には石垣が見えています。

背後に見えていた石垣。

神社の背後にこれだけの石垣、

何で必要なのか?

それは戦いのためかも(笑)

次に境内社などを散策。

石垣前の境内社。

古さからして鞘堂と同時期の

建物でしょうか・・・

境内社、五社殿。

イチョウの気の根本に注目。

源為朝が射ぬいた石。

確かに穴が空いています。

鎮西八郎(源為朝)伝説は、

九州の各地にあり、

以前参拝した、熊本の六殿神社

彼の逸話から来た名前の山に

鎮座していたのを思い出しました。

末廣神社の参拝は完了したのですが、

実は、これからがクライマックス(笑)

素敵な庭園と、石垣が裏側にあるのですが、

続きは後編にて。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください