壇の浦古戦場跡(山口県下関市)

 

勝者も、また滅びる

壇の浦の戦いで平氏が滅んでから

わずか30年ちょっとで、

平氏を滅ぼした側の源氏も滅びました。

戦国期の英傑、織田信長も

武田氏を滅ぼして、わずか2ヶ月後には、

本能寺の変でこの世から消えています。

そんな思いで壇の浦の海を見ると、

人の世の儚さをつくづく実感します。

みもすそ川公園

壇の浦古戦場跡は、

関門海峡に面した

みもすそ川公園の一角にあります。

関門トンネル人道をで出て、

国道を渡ると

そこがみもすそ川公園です。

壇の浦古戦場址の石碑と関門橋。

左は源氏の総大将、源義経、

右は平氏の総大将、平宗盛像。

躍動感溢れる義経像は、

物語で有名な、

八艘飛びを表現したものでしょうか。

平宗盛は、錨を巻きつけて、

海に飛び込み自害したと言う

お話からのデザインかな?

平宗盛の死から4年後、

源義経も兄頼朝に殺されていますので、

ある意味これは両者の

鎮魂碑にも見えて来ます・・・。

2005年の大河ドラマ「義経」で、

主人公、義経役だった

タッキー(滝沢秀明)の手形。

同じドラマで平資盛役だった、

小泉孝太郎の手形。

安徳帝御入水之処の石碑に刻まれた

二位尼辞世の句。

「今ぞ知る みもすそ川の

御ながれ 波の下にも

みやこありとは」

みもすそ川公園は海に面しているし

川も無いのに、何故「川」なのかと思って

ネットで調べてみると

この句から付けられた公園名でした。

みもすそ川は、御裳川と書き、

伊勢神宮を流れる五十鈴川の別名で、

二位尼や一緒に入水した孫の安徳天皇は、

伊勢平氏の流れなので、

こんな句が出来たようですね。

そしてこれで、解明できたのが、

公園にある橋の欄干の存在です。

五十鈴川に架かる、

神橋を模して作ったのでしょう。

二位尼や安徳天皇の鎮魂の橋なのかな?

句碑付近から眺める関門海峡。

近代的な関門橋も架かり、

平氏滅亡をはじめ、

ここで繰り広げられた多くの戦いが、

何もなかったかのように

平和で美しい海です・・・。

 

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