太宰府天満宮・志賀社

 

集約

太宰府天満宮参拝を計画した時、

近くの岩屋城への訪問も考えていました。

戦国時代、

立花宗茂の実父、

高橋紹運が島津氏相手に戦い、

城兵全員が玉砕した岩屋城です・・

しかし、

岩屋城へのバス路線はなく

タクシーでとも思ったものの

いつものように時間が押してしまい

「どっち付かず」になる予感がし、

太宰府天満宮に集約させたのです。

結果から言えば、

これで良かったと思っています。

岩屋城、高橋紹運の魂たち、

遠くない将来行くから待っててね!(笑)

菅原道真公 歌碑

神社南側の浮殿定遠館を巡った後、

北に向かう本参道を目指します。

浮殿前の大楠。

太宰府天満宮境内は

大楠の群生地となっていて、

巨木・巨樹好きの人は、

木を見るだけでも楽しめそうです(笑)

右側の御神牛には、

ひっきりなしに人がいて、

僕たちは撫でるのを諦め、

近くの菅原道真公の歌碑へ。

「菅原道真公 歌碑」

東風こち吹かばにほいおこせよ梅の花

あるじなしとて春な忘れそ

昌泰四年(901)に太宰権師を命じられた

菅原道真公が京都を出発される際に

紅梅殿の梅に石べつの想いを込めて

詠じられたもので、

公を慕って一夜のうちに

京より太宰府まで飛来したといわれる

御神木「飛梅とびうめ」(御本殿右側)の

由来として有名である。」

妻は有名な歌だと言っていましたが、

僕は何となくしか知らなかったので、

ここに行ったのは正解でした。

石鳥居

次に過去何十回となく

通り過ぎていた石鳥居を

まじまじと(笑)見学してみました。

柱・笠木・貫の作りからして

「肥前鳥居」の後期バージョン

(江戸時代中頃)と見立てましたが、

案内を見ると全く違うのです・・・

「石鳥居

(県指定文化財)

この石鳥居は今からおよそ七百年前、

南北朝時代に建立されたと推定され、

九州では最古といわれている。

筑後国有坂城主

新田大炊介寄進とされている。」

これを読んだ後、

ネットで調べると

平成元年の太宰府市の市政だよりに

以下が述べられていました。

「明治四年に書かれた天満宮の

「神社明細図書」によると

「筑後国有坂城主新田大炊介建築」と

あります。

筑後国有坂というのは

鯵坂(味坂―現在の小郡市南部)の

間違いではないかといわれており、

鯵坂であれば鎌倉末期、

太宰府天満宮安楽寺領が

置かれていた所です。

新田氏については、

南北朝時代に今川了俊が出した文書に、

二度ほど現れており、

筑後国の住人と考えても

無理はないようです。

以上のことから、この鳥居は、

鎌倉末期から南北朝ごろ、

筑後国にいた新田氏によって

寄進されたと推定しても

矛盾はないように思われます。」

なるほど、

確定した資料があったのですね。

今川了俊と言えば、

南朝勢力から太宰府を奪還した人。

昨年10月、静岡市の臨済寺で、

了俊さんが使った鎧(あぶみ)を

見たことを思い出しますが、

あれがこの鳥居への伏線だったかな?(笑)

笠木はかなり古く

オリジナルのようですが、

貫は新し目にも見えます。

歴史ある鳥居の存在、

気付いて良かった!

志賀社

次に太宰府天満宮名物、太鼓橋へ。

やっぱ朱赤と緑と青空、

絵になりますな〜!

横から撮影。

この橋について、

以下のような、いわれがあります。

「両端の太鼓橋と真ん中の直橋は、

仏教思想に言う、

過去・現在・未来の

三世一念を表したもので、

この橋を渡ることによって

「三世の邪念を祓う」とも言われ、

参拝者の身を清める橋である」

と言うことで、

橋を渡ったので、過去の罪穢れは、

無かった事に・・なる?(笑)

池の中の末社、「今王社」に参拝。

ここは喪中の人など、

本殿に参拝できない人が、

参拝できるお社だそうです。

太鼓橋から見た心字池の風景。

清々しくて、

間違いなく身を清められますね!

池の中お社第二弾。

「重要文化財 志賀社

室町時代長禄2年(1458)再建」

こんな凄いものがあったのに、

今までどんだけスルーしていたんでしょう。

ちなみに、

御社殿が出来た長禄2年を調べると

戦国大名、尼子経久が生まれた年でした。

こちらは以前訪問した、

島根県安来市の月山富田城近く、

三日月公園に建つ尼子経久像です。

尼子氏を巨大な勢力にした人ですが、

この人が垂れ流していた頃(笑)から

建っていた志賀社はホント凄いですね!

そして、案内を確認。

「国指定重要文化財 志賀社」

「御祭神は海神 綿津見三柱神で

海上安全の守護神として奉祀される。

社殿は長禄二年(1458)再建で

屋根が一間社入母屋造で

正面に向唐破風・千鳥破風を飾り

唐様・和様の折衷様式をもって構成される。

当初は黒漆と金製金具を

ふんだんに使ったといわれている。

美術工芸品ともいえる

精巧な建造物である。」

参拝。

「志加大明神」の神額。

三つ目の神橋を渡り

手水舎方面へと向かいます。

(続く)

 

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