江戸城(和田倉門)

 

唯一無二の城へ

どこから巡ればいいのか、

正直わからないほど大規模で、

唯一無二の巨大な城が、江戸城です。

天皇陛下が住まわれる皇居は、

内濠に囲まれた中の西の丸で、

江戸城のほんの一部というのが、

その巨大さを表しているでしょう。

内濠の周囲には広大な城域があり、

周囲14Kmもの外堀で総構えとされ、

要所には「見附」と呼ばれる、

巨大な枡形門(桝形虎口)で

鉄壁の守りとなっています。

「36見附」などと言われて、

36箇所あったようで、

その一つ、「赤坂見附」は

地下鉄の駅名としても残っています。

実際の見附はそれ以上に、

沢山存在していたとも言われていますが、

正確な数字はわからないようです。

今回の旅では、その巨大な江戸城を

制覇しようなどとは、

全く考えていません(笑)

巨大城を少しでも

感じられればと思い、

行きたい有名所を中心に

あまり効率を考えずに巡ってみました。

和田倉門へ

東京駅から一番近いのは、

和田倉門なので、

まずはそこを目指します。

左側、丸ビルの地下のコンビニで

昼食を済ませ、

右側の新丸ビルとの間を通って、

皇居方面へ。

目の前に広がるのは、

馬場崎濠で、

この左端には馬場先門があります。

(枡形は撤去され道路ですが)

ちなみに江戸城の案内や地図では

「堀」ではなく、「濠」と表記されています。

地下鉄大手町駅入口を通過すると

右手に和田倉門の石垣が見えてきます。

和田倉濠と石垣。

ここで一羽の白鳥がお出迎え。

人懐っこい白鳥さん、

こちらへやって来ます。

ゴメンね!餌持っていないよ!

濠の中心から和田倉門の橋側を撮影。

和田倉門石垣の左端に到着。

巨石を使った切込み接ぎの石垣。

大きさの比較のため妻も登場。

次に和田倉濠の反対側へ。

こちらからだと濠の雄大さと

門(桝形虎口)の大きさが

よくわかりますね。

木橋風のコンクリ橋を渡って枡形へ。

皇居外苑 案内図。

和田倉門は左端です。

「和田倉門跡」

案内を書き出すと

以下になります。

「1602年(慶長7年)頃の絵図には、

門内には「一の蔵」があり、

この門が「蔵の御門」と記されています。

これが門の名の由来です。

門の築造は1620年(元和6年)

仙台藩(現在の宮城県)藩主

伊達政宗などによって行われ、

さらに1628年(寛永5年)に

熊本藩(現在の熊本県)藩主

加藤忠広により改築されました。

現在は枡形門の石垣と

1974年(昭和49年)に改修された

木橋風のコンクリート橋が

当時の面影を残しています。」

清正の嫡男、加藤忠広さん、

この改築の4年後に改易され、

身柄を出羽庄内藩(現在の山形県)に

預けられ生涯を山形で閉じています。

和田倉門の改築、

頑張ったのにね!(悲)

橋を渡って枡形へ。

江戸時代には、

ここに高麗門があったのでしょう。

門右側の石垣。

門左側の石垣。

徳川の石垣としては標準仕様の

「削り仕上げ」「すだれ仕上げ」が、

随所に施されています。

枡形に入って橋側を撮影。

次に城内に入る櫓門側を撮影。

櫓門の算木積みの石垣も巨大・・・

ですが、

これはほんの序の口です。

江戸城には巨大な石垣が

見飽きるほどあるので(笑)、

巡っているうちに、

当たり前の光景になってしまい、

感動もいつの間にやら

無感動に?(笑)

城内側から櫓門石垣、枡形を撮影。

石垣の内側には雁木も残っています。

和田倉噴水公園から見た和田倉門。

門の右側、近代的な建物はスタバです。

振り返って噴水を撮影。

これにて和田倉門の散策は完了し、

次に内濠の巽櫓を目指します。

 

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