円通院(宮城県松島町)
惜しい!
円通院は、若くして亡くなった
仙台藩の二代藩主伊達忠宗の嫡男で、
藩祖伊達政宗の嫡孫でもある
伊達光宗の菩提寺です。
個人の為だけに菩提寺が創建され、
また立派な霊屋まで造られ
藩主並みかそれ以上の
弔われ方をされていますので、
光宗という方は、
相当に将来を嘱望された、
聡明な人物だったのでしょう・・
光宗の夭折を受けて
三代藩主になった忠宗の六男綱宗は、
藩主不適格として、
わずか二年で隠居させられていますので、
後から考えると「惜しい!」となりますが、
人は失くしたものを美化する生き物(笑)
光宗さんが藩主になったとして
どうだったかは、
「神のみぞ知る」ですよね・・
パンフレット
円通院で頂いた
モノクロのパンフレット、
これが素晴らしいのですよ!
表側。
見どころが平面図と絵図で案内され
実に理解しやすい内容で、
しかも拝観料の箇所には、
「御朱印300円にて承ります」と
御朱印の料金も明示されています。
こんな些細な配慮にも
円通院さんの「おもてなし」を
めっちゃ感じます。
内側。
ここでは、円通院の主役、
伊達光宗さんの霊廟が
フューチャーされています。
本堂の歴史的由来、
そして、
伊達家の系図まで記され、
ここは歴史好きの僕には、
大いなる「ツボ」です(笑)
参道
横参道を歩き円通院へ。
お店もあって賑わった参道を
少し歩いて円通院に到着。
茅葺き屋根の山門。
「山門は正保四年(1647)
円通院開山と同時に建てられたと考えられ、
萱葺で一間一戸の薬医門です。」
このような案内があります。
見事に維持管理された
萱(茅)葺屋根を見て、
円通院への期待は、
益々膨んでしまいます(笑)
ご本尊様には申し訳ありませんが、
本堂も庭園もすっ飛ばし、
一目散に御霊屋を目指します。
これが、
弾丸ツアー旅の多い僕たちの是とする
「持ち時間が少ない時は
第一目標を先に巡る法則」です(笑)
風流な演出も
横目で見ながら早足で通過。
三慧殿
ここまで来れば、
もうすぐ霊廟です。
参道をさらに先へ。
苔のむし方といい、
霊廟の素朴さ、渋さといい、
「静かにお眠りいただく」には
最高のシチュエーションでしょう!
御霊屋に参拝。
三慧殿の扁額。
ガラス越しながらも、
パンフレットに案内された
「馬上束帯光宗公」の勇姿が
しっかりと拝めますし、
宮殿型逗子の荘厳さも
よく分かります。
円通院さんのこのような配慮にも
改めて感謝ですよ!
逗子の西欧文化模様についての案内。
参拝後、三慧殿斜め後方から撮影。
洞窟群(供養塔)
三慧殿の裏側には、
洞窟群があります。
お墓でしょうか・・
「伊達宗高並殉死者供養塔」
以下案内の要約です。
「中央の宗高塔を、
殉死者塔群が囲んでいる。
伊達宗高は藩祖政宗の七男。
寛永元年(1624)蔵王が噴火、
政宗の命で蔵王に登り、
鎮静祈願を行った。
寛永三年、父と共に上洛、
京都で天然痘にかかり、逝去した。」
こちらもどなたかの供養塔でしょう。
板碑
本堂を目指して
山門へ戻る途中に見つけたのが
こちらの板碑です。
梵字が書かれた板碑。
「建武五年(1338)記銘板碑」
案内を要約すると以下になります。
「銘文には藤原氏出身の女性が、
板碑造立の功徳によって
自分の死後の成仏・安楽を願い、
その功徳を法界に広く及ぼさんとある。」
これに、
原文と読み下し文が記された
親切な案内板です。
日本最古のバラ
ここには伊達政宗の命で
ヨーロッパに渡った
支倉常長の痕跡もあります。
日本最古のバラは支倉常長が
ローマから持ち帰ったものだそうで、
ここはバラ園となっています。
おんこ
「おんこ」とは樹木の事です。
芸術的な枝ぶりの「おんこ」。
案内には
「アララギオンコともいう イチイ科」
「樹齢七百年以上
(八方睨みの名木と称せられる)」
このように書かれています。
大切にされている感、
満載ですね!
円通院本堂大悲亭
色々巡ってようやく本堂へ。
本堂と遠州の庭(右)
本堂に参拝。
ここも萱葺屋根が素晴らしい!
「円通院本堂大悲亭」の案内。
以下、要約です。
「本堂は光宗が江戸で納涼の亭として
使用していた建物を海路で運び、
この地に移築されたもので、
屋根は寄棟造、萱葺平屋の二間造りで、
右堂の奥に本尊「聖観世音菩薩坐像」を
安置しています。」
わざわざ江戸から移築したとは、
忠宗さんが光宗さんを失くした無念さが、
ここでも伝わってきます・・・
小堀遠州の作と言われる
本堂前の遠州の庭。
「芭蕉句碑」が
日本各地どこにでもあるのと同じくらい、
どこに行っても
「小堀遠州」の名を聞きますね!
「天の庭」と「地の庭」
石は松島の七福神の島々を
表しているとか。
実に良い庭(多分・・汗)です!