猿島探検/揚弾井・連絡隧道
猿島の砲台跡で願う・・
明治時代、
日本の海峡という海峡には、
敵艦船の侵入を防ぐ為の
軍事要塞が作られ、
多くの砲台が出来ていますが、
それらの砲台の全ては、
敵艦船に火を吹く事なく、
その役目を終えています。
それは明治〜大正にかけて行われた
日清・日露戦争、
第一次世界大戦ともに、
日本国外のみの戦闘で
勝利出来たからに他なりません。
今の日本はどうでしょう・・
「専守防衛」という言葉、
とても平和的なフレーズですが、
明治時代で言えば、
日本近海まで来た敵艦隊を
砲台で迎え撃つという形です。
いくら砲台が沢山あっても、
やはり国内での被害は
相当なものになるでしょう。
ウクライナの「専守防衛」的な
戦い方を見れば、
一般市民の犠牲がいかに甚大かが、
よくわかります・・・
最近、
イージス艦「ちょうかい」にも
射程1600Kmと言われる
巡航ミサイル・トマホークが
搭載されたようですが、
これが安全保障の一つとなり、
「勝手に戦争をしない宣言の国」から
「戦争を仕掛けたくない国」に
1ミリでも近づければと思います。
人間(為政者)は無慈悲で、
自分勝手な生き物というのは
紀元前からの歴史が証明している事・・・
武器ありきの大前提でしか
平和が維持出来ないなんて、
実に情けないとは思いますが、
これが人間界の悲しい現実です。
猿島の砲台跡を巡り、
改めて今の平和が維持され、
日本が保有する武器が、
全て使用される事なく、
廃棄される日が来るのを
心から願った次第です・・・
揚弾井
一旦、猿島の地図を確認。

ここからの散策は島の真ん中から
左方面(北側)になります。

揚弾井があるトンネルへ。

壁側面に造られた
砲側弾薬庫と点灯室。
レンガの上に漆喰が塗られていますが、
これは昭和期の改変かも知れません。

「揚弾井」
以下、案内です。
「明治期の陸軍砲台であったときは、
この場所は弾薬庫として使用していた。
この竪穴は揚弾井と呼ばれる。
弾薬庫内の弾薬は、
揚弾機を使って揚弾井の中を通り、
上の高塁道へ上げられ、
更に高塁道の両端にある砲座へ運ばれた。」
要するに揚弾井とは、
弾薬を運ぶエレベーターですね。

エレベーターの内枠は、
木製だったのでしょうか・・
それとも内枠は後世のものかな?

トンネルを出て振り返って撮影。

ここにも案内があります。

「第一砲台」
以下、全文です。
「27cm 加農砲2門で構成される。
塁道東側に砲側弾薬庫、点灯室がある。
その上に砲座、胸墻と横墻、
砲座間を結ぶ高塁道、
揚弾井が設けられた。
揚弾井の上部受取部分を
下から見ることができる。
また砲座へは両脇の階段から上がり
配置についた。
砲側弾薬庫は、
海軍への移管後の高角砲設置に伴い
連絡隧道へと改変された。」
兵舎
この近くにも兵舎があります。

兵舎は砲台と近く言わば「職住接近」、
なので、
緊急時にも即応できる体制という
わけでしょう。

兵舎正面。
連絡隧道(レンガ造りのトンネル)
ここからは、
猿島の島の真ん中を貫く、
レンガ造りのトンネルへ。

こちらは露払いのトンネル(笑)

部屋っぽいものがあります。

こちらにも・・・

そして、メインのトンネルへ。

お〜レンガだ〜!

何という素晴らしさ!
全て「フランス積」で、
まるで芸術作品ですよ。

オレンジの照明もムード満点です(笑)

登って降りてという感じです。

案内板を発見。

「砲台地下施設(弾薬元庫)」
以下、全文です。
「砲台地下施設には、弾薬元庫があり、
北と南の2棟がある。
南側元庫は煉瓦造2階建てで、
中央の吹き抜けおよび点灯室により、
更に北と南の2つの区画に分けられる。
南側元庫の西壁は、
現在は二重壁になっている。
外壁は築造当初のもの、
内壁は明治30年代に防湿のため設置された。
弾薬元庫北側にある揚弾井は
旧第一砲台に弾薬を
供給するためのものであったが、
旧第一砲台は
明治23(1890)に廃止された。
中央高台への連絡路は南側元庫2階と
旧第一砲台砲側弾薬庫への連絡路も兼ね、
外へと繋がっている。」
平面図には、
「オランダ積」と記されている場所が、
結構多くあります。
オランダもレンガの積み方には、
先駆者的な面があったのでしょう。

中央高台への連絡路(多分)

更に奥へ。

振り返って撮影。

フランス積をアップで撮影。

反対側の出口に到着。

「連絡隧道」
ここにはフランス積の図面がありますね!
「ガッチリ」奥行きがあるのには、
ちょっと驚きました。
外側から見ただけでは、
分からないものです。

「昭和の変遷」
「明治期、日本に外敵が侵入する手段は
艦船であった。
侵入しようとする艦船から、
東京および横須賀軍港を守るため、
陸軍はレンガと石を用いて
猿島に西洋式の砲台を築いた。
その後、関東大震災により
多くの施設が被災し、
猿島砲台は廃止された。
猿島はその後、海軍に所管替えされる。
海軍は、
新たに出現した航空機に対応するため、
コンクリートを用いた高角砲台を設置する。
この場所は明治期は
陸軍の砲台の弾薬庫であったが、
海軍所管となった後に、
奥壁を掘り抜き通路へと改変された。」
このように書かれています。
高射砲台
最後に北西端にある二つの高射砲台へ。

右に一つ見えてきました。

平面のシンプルな高射砲台。

そして奥へ。

ここは相当にゴッツイです!

ここから見ると
前方後円墳の形ですね(笑)
ここまでで猿島探検は終了し、
桟橋方面へと戻ります。