藤武神社(新府城・中編)

 

御由緒

藤武(ふじたけ)神社のことは

新府城跡に建つ神社くらいにしか

知りませんでしたので、

改めてご由緒を書き出してみました。

「(藤武神社は)「お新府さん」と呼ばれ、

武田哀史をとどめる新府城跡にある。

文化三年拝殿改築の棟札によると、

藤井庄と武田庄とを

前後に見下す所に在るので

藤武神社といふ。

天正年中勝頼公が新府築城の節、

城内稲荷郭に鎮守として祀ったが

落城とともに焼失した。

しかし徳川神君様の

藤武神社に対する尊崇あつく、

平岩七之助に命じて再建され、

藤武神、稲荷神同殿に鎮座して

藤武神社と称したといふ。」

(山梨県神社庁のサイトによる)

稲荷郭へ

新府城ならではの遺構、

「出構」(でがまえ)を散策した後、

大手方面の駐車場を探して

うろうろしたのですが、

見つけきれず、

結局、最初に停めた

出構近くの駐車場に戻り、

そこから歩いて攻城することに。

車がひっきりなしに通る甲州街道から

神社参道を登り、本丸に向かいます。

新府城の案内。

少し抜粋・要約すると

「武田勝頼が、真田昌幸に命じて

築かせた平山城」

「城が竣工して数ヶ月で、

勝頼はここを焼き払い、退去、

その後、ほどなく武田氏は滅亡」

「信長が本能寺で斃れた後、

北条氏と徳川氏が

甲斐の支配をめぐり戦った時、

(武田氏滅亡により)廃墟と化した

新府城を徳川家康は、修築し本陣とし

五倍する敵(北条)を翻弄し、

この城の真価を発揮した。」

このようになります。

意外にも武田勝頼の遺産、新府城は

家康の力になったのですね!

家康さん、小牧・長久手の戦いでも

廃城になっていた

小牧山城に陣を構えていますから

リユースの名人?なのかも(笑)

参道というか急階段(汗)

両部鳥居。

鳥居の右横には、

「参道(乙女坂)」の立て札がありますが、

乙女にしては石段は急だし、

間違いなくこれは、

「男坂だ!」とブツブツ言いながら(笑)

登ってみると、後から解ったのは、

「乙女坂」とは鳥居の横から

右に行くなだらかな道で、

石段を指すものではありませんでした(汗)

神額。

さらに上へ。

かなりバテ気味な僕たち(笑)

稲荷郭到着。

鳥居の笠木・島木部分が無くなった?

いや、ここはお城なので、

冠木門風に作ったのかな?

御社殿

ここから拝殿はすぐ近くですが、

すぐ右側にあるのが、

こちらの建物です。

神楽殿(舞殿)かな?

そして、こんなものも・・・

真田丸のロケ地だったのですね!

拝殿へ。

参拝。

右から拝殿、幣殿、本殿。

本殿のアップ。

そして、

本殿の鬼板を見ると・・・

お~あった~!

武田菱の神紋が!

やはりこれを見ると、

気分は高揚しますね(笑)

境内社など

本殿向かって左側の木の根元に

小さな祠らしきものを発見。

神様などは不明ですが、

結界が張られているので、

大切にされているのでしょう。

本丸との境に鎮座する稲荷社。

稲荷郭からの名残でしょうか・・・

参拝の最後は、

いつものツーショットで〆。

この後、新府城の本丸、二の丸、

そして、見所の大手へと向かいます。

 

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