島津忠良(日新公)の墓(南さつま市)

 

地方観光の模範

旅をしていると、

「地方活性化」の掛け声の下、

観光客を見込んで、

色々作ったはいいけれど、

メンテナンスの予算もなく、

放置に近い状態となり、

廃れた観光地をよく見かけますが、

そんな観光地とは、

一線を画すのが、

竹田神社の社叢を整備した、

「竹田の杜」です。

竹田の杜は、地元の人々から

日新公(じっしんこう)と

親しみを込めて呼ばれる、

島津中興の英主、

島津忠良公の菩提寺であった

日新寺の跡地で、

その奥の一角、常潤院跡には、

島津忠良のお墓があります。

明治の廃仏毀釈により

日新寺は廃寺となり、

その後、竹田神社に変わっていますが、

寺(神社)の敷地の多くは

そのまま残され、

文化的、歴史的な公園として

整備され、現在でも

美しい姿を保っていて、

まさに地方観光の模範とも

言えるでしょう。

個人作の案内板

公園入口では、

手作り感満載の

温かみあふれる案内板が

旅人たちを迎えてくれます。

個人の方が、地元を思い、

そして訪れる人を思い、

心を込めて描かれた力作には

感動しか覚えませんね。

僕たちは、

この案内が建つ側とは反対の、

向かって右端の竹田神社、

加世田護国神社を参拝後、

竹田の杜を散策しました。

井がわ

案内図に「井がわ」と書かれている場所へ。

井戸みたいな川という意味かな?

そして、

川の流れの上には祠もあります。

水神様でしょうか?

いぬまき古木

井がわから少し登ると、

いぬまき古木の案内があります。

あと50m。

樹齢350年の「いぬまき古木」。

案内によると、

「いぬまきは、

古くから加世田に多い樹木で、

銘木や古木も多く現在は、

市木となっている。

この大木は最も古く最も大きく、

国内でも有数の大木である」

このように書かれています。

竹田神社の大楠

境内の端っこにそびえる大楠。

案内によると

「大楠のほとんどが日新寺の前身で

室町時代に建てられた

保泉寺の頃からの老木で、

寛政十年(1798)

日新寺大火の際に

寺側の反面を焦がし、

今もその傷跡を残している。」

このように書かれていて、

そのとおり、焼けた形跡が

確認出来ますね。

鮫島慶彦胸像

竹田神社の本殿向かって左側の

蘇鉄群の中に

隠れるように建っているのが、

鮫島慶彦胸像です。

全く存じ上げない人でしたが、

この方、

竹田の杜の救世主でした!

案内を超訳すると

「慶應元年(1865)生まれで、

南薩鉄道会社の創設、

国会議員として活躍、

竹田の杜を民有地への

払下げ要請から守り、

現在、

竹田神社の社有林となっている」

この人がいたからこそ、

ここで僕たちは散策を

堪能出来ているのですね。

やはり、まずは地元愛ありきですね。

日清 日露 戦没記念碑

神社から杜の中心地へいく途中、

戦没記念碑があります。

日清・日露戦争で

勝利したことの記念碑でしょうか。

いにしへの道

ここから常潤院跡の

日新公の墓までは、

「いにしへの道」と名付けられた

散策路となります。

親切な案内。

ここには、至る所に、

「案内板」が建っているので、

「これって何だろう?ま、いっか~」

で終わることはなく、

まさに「おもてなし」の極致です。

途中のお墓へ。

日新公の三男、島津尚久の墓。

案内によれば、

尚久は32歳の若さで病没するも、

子孫は、代々宮之城島津家として

栄えたと書かれています。

「島津忠良と日新公いろは歌」

日新公(島津忠良)の略歴と

「いにしへの道」の両脇に並んだ、

日新公いろは歌碑についての

案内が書かれています。

概略を書くと

「忠良によって、

薩摩、大隅、日向の

三州統一の礎が築かれ、

島津本家十五代当主の嫡男貴久と

孫義久・義弘らによって

統一がなされました。」

「日新公が作ったいろは歌は、

薩摩論語とも言われ、

人間として社会に生きる道を

説いたものです。

薩摩の郷中教育の聖典とされ、

明治維新を成し遂げた

薩摩の志士たちにも

大きな影響を与えました」

なるほど~!

朝鮮では鬼島津と言われ、

島津の退き口では

家康に地団駄踏ませた島津義弘は、

日新公の孫だったんですね!

偉い人の孫もまた、偉かった・・・。

そして、

歴代の薩摩藩主が

文武に秀でた人が多いのは、

日新公のいろは歌を元にした、

郷中教育のお陰かも知れませんね。

いにしへの道。

両脇には日新公が作った

いろは歌碑が並んでいます。

47基建てられた中の、

最初の一つ。

いろはの「い」。

「いにしへの

道を聞きても唱へても

わが行ひにせずばかいなし」

大意は、

「昔からの立派な教えを

いくら聞いても、

またどれだけ口先で唱えても、

自分で実行しなければ

何の役にも立たない」

う~ん耳が痛い(笑)

こんな心に響く言葉が、

沢山並んでいて、

ついつい、

時間が過ぎてしまいます。

常潤院跡の池。

ここに一羽のサギちゃんが

待ってくれていました。

僕たちが着いた途端に

飛び去って行ったのですが、

あれはきっと妻の

おばあちゃんだったのでしょう。

常潤院の仁王像。

案内。

廃仏毀釈で、

行方不明だった仁王像が、

百数十年ぶりに見つかったと

書かれています。

背中には享和三年

(1803年)の文字が

しっかりと残されていますね。

ここにも同じ作者の

手作り案内図が配置され、

歩いて来た疲れを癒やしてくれます。

奥へ。

島津忠良(日新公)の墓。

案内。

参拝。

傍らにある殉死した家臣の墓。

夫人の墓。

大正時代、ここに

改葬されたと書かれています。

日新公殉死者家族の拝み石。

殉死した二人の家族が

ここに墓を建てて

お参りしていたと書かれています。

今日の発見

正直、竹田神社のことを

見くびっていました(汗)

なんか素晴らしいと思いながら

神社に戻って案内を見ると・・・

へ~!

ここ、日本遺産の認定を

受けていたんですね!

これなら益々発展されるはず、

いやしてほしいな~(笑)

 

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