2020/09/13

風浪宮(福岡県大川市)前編

 

阿曇氏

風浪宮(ふうろうぐう)参道脇の

御由緒には、

「神功皇后の三韓御親征の砌

少童命(わだつみのみこと)の

御神徳による開運と

航海安全の御加護とを多として、

皇后の勅命により時の

海上指揮を仕え奉った

阿曇磯良丸(あずみのいそらまる)をして

少童命を祀らしめ承和年間に

左右三神を配して

風浪大権現風浪将軍、

後に風浪宮と稱号す。」

このように記されています。

そして、現在の宮司さんは、

初代、阿曇磯良丸から数え、

何と67代目、

同じく阿曇という名字ですので、

神話の時代からずっと

続いているに違いありません。

宮司さん自体が神話に繋がる神社は、

日本にもそんなに多くはないでしょうね。

磯良塚と磯良丸神社

自宅から1時間半ほど南下し、

風浪宮の駐車場に到着。

まずはこの幼稚園内に鎮座する

磯良塚と磯良丸神社に参拝します。

と言っても、

幼稚園の敷地には入れませんので、

門の外からの遥拝になります。

門から撮影。

左が御社殿、右が磯良塚。

その背後には、この大切な場所を

守っているかのように

大クスがそびえ立っています。

御社殿へ

駐車場から道路を渡って境内へ。

昔は道路も境内だったのでしょう。

二の鳥居。

一の鳥居は道路の向こう側の

ずっと奥に建っています。

御由緒。

手水舎。

神仏習合を思い起こさせる

仏塔?から水が流れて来ます。

神門へ。

神門前の石橋。

池は美しく手入れされています。

橋の右側。

神門。

阿形の随神様と狛犬。

吽形。

神門の神額の書は、

中曽根元総理です。

達筆なのか、どうなのか、

よくわかりません(笑)

神門から拝殿を臨む。

拝殿へ。

木製燈籠

拝殿の手前両脇の

木製燈籠の案内があるので、

読んでみました。

案内を要約すると

「以前の石灯籠は、

平成17年の地震で倒壊し、

今の木製燈籠は、

平成20年に再建されています。

木工の町、大川にふさわしい

木製にて欄間彫刻、組子建具等の

匠の技を取り入れ、すべて大川各業界の

手により、見事竣工しました。」

このようになります。

気になって細部を見てみると

その匠の技が伝わってきます。

石の土台も彫刻が施されています。

屋根はまるで御社殿の造りです。

龍の彫刻と組子。

白鷺の彫刻も

阿吽になっているそうです。

拝殿にて

ようやく参拝へ。

賽銭箱には、

洲浜紋があしらわれています。

(紋の名前は家紋大好きな妻に

教えてもらいました)

向拝には明治45年寄進の

恵方板も設置されています。

そして、

ひときわ目を惹くのが、こちらの木像。

阿曇磯良丸の像。

案内。

両手に持っているのは、

干珠満珠で、

これを捧げて三韓親征に従軍、

神功皇后の勝利に貢献しています。

本殿

参拝の後は本殿へ。

永禄三年(1560年)は

桶狭間の戦いで、織田信長が、

今川義元を討った年ではありませんか!

先日僕たちが訪問したばかりの

桶狭間と被るとは、びっくりですよ。

風浪宮の本殿建立の年、

これで暗記出来たかも?(笑)

また、

再建主の蒲池鑑盛(かまち あきもり)を

Wikipediaで調べると、

歌手の松田聖子(本名は蒲池法子)は

蒲池鑑盛の三男から続く子孫でした!

これまたびっくりですね(笑)

左が拝殿、右が本殿。

本殿右側から撮影。

本殿裏正面。

本殿左後ろから撮影。

修復工事が成されたばかりで、

素晴らしい建物に、うっとりです。

ご本殿をバックに

自撮りツーショットを完了。

(後編へ続く)

 

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