玄蕃尾城(福井・滋賀)主郭

勝家さんの魂
江戸時代の元和元年(1615)
幕府が出した一国一城令の後、
多くの城が破却されました。
その後、寛永十四年(1637)から
寛永十五年にかけて起きた
島原の乱(島原・天草一揆)では、
廃城となっていた原城を一揆軍が占拠し、
一揆鎮圧に手を焼き、
それに懲りた幕府は、
既に廃城されている多くの城の石垣などを
改めて徹底して破却する事を命じ、
結果、
多くの城跡遺構が失われています。
しかし玄蕃尾城に関しては、
山奥にあった事や、
石垣が無かった事が幸いしたのか、
それとも、
もはや忘れらていたのか(笑)
壊されることもなく、
縄張りがそのまま残っています。
勝家さんが全てを賭けて築城した玄蕃尾城、
今でも勝家さんの魂がここにいて、
「しっかりワシの集大成を見てっておくれ」
な〜んて、
ここを誇りに思っている気がします(笑)
馬出廓
ここでパンフレットの平面図を改めて確認。
南側の廓1、土橋、虎口廓を巡り、
次に馬出廓へ。
虎口廓から見た馬出廓。
馬出廓近影。
「本丸の虎口の機能を果たし、
かつ三方に横矢を利かして突出しています。
出枡形で本丸虎口を隠しながら、
敵に対しては屈曲を強いるという
完成度の高い形態をしています。」
(パンフより)
土塁に囲まれていることが
よく分かりますね。
主郭を背にして馬出廓を撮影。
この馬出から敵に対し
攻撃部隊が左右に分かれて
出撃する光景が目に浮かびます!
馬出廓にいる足軽(妻)から
鉄砲で狙われる僕(笑)
馬出に登ろうとすると、
意外と高さがあり、
攻撃側はかなり苦戦するかも?
馬出廓東側の腰廓。
ここの土塁も素晴らしい!
馬出廓を背にして主郭へ。
主郭
「45m四方の方形で
周囲を高土塁と堀で厳重に囲んでいます。
南北1箇所ずつ設けられた虎口は
どちらも食違いで、土橋によって
外枡形とつないでいます。」
(パンフより)
主郭内部へ。
主郭南側から。
ここで主郭全景を動画で撮影。
主郭東側、張出廓への出入口。
空堀も結構深いですね。
主郭西側から見た櫓台(天守台)。
「主郭の北東角が一段高くなっており、
礎石もみられることから、
櫓台と想定されています。」
(パンフより)
ここに物見櫓が建っていたようです。
こちらが櫓台の礎石・・多分?
櫓台から主郭全体を望む。
ここでツーショット完了。
馬出廓(北側)
そして主郭の北側へ。
喰違い虎口を出ると・・
先には土橋があり、
とにかく一瞬も気を抜けません。
奥へ。
北側の馬出廓。
馬出横の空堀。
ここの土塁もかなり高い!
左が廓2側、真ん中の土塁を挟んで
右が馬出側で、
この辺りも結構作り込まれた形です。
馬出北側の土塁と空堀。
廓2(搦手廓)
「比較的単純な形ですが、
喰違いや折れを用いています。
城中で最も広い廓で、
兵の駐屯地や物資の集積地
だったとみられます。」
(パンフより)
案内柱。
確かに主郭よりも
一回りほど広いく造られています。
駐車場へ
南から北へと廓を見学後、
Uターンして駐車場へと戻ります。
もうすぐ駐車場。
先人の車はいなくなっているので、
ここには僕たち二人だけ・・・
熊との遭遇もなく(笑)無事車内へ。
(玄蕃尾城・完)