郡上八幡城(岐阜県郡上市)(4)
好感度マシマシ
昭和八年の築城から90年、
郡上八幡城天守は、
約半年間の耐震工事を終え、
その工法や経過写真は、
天守にパネルで紹介されています。
このようにして、
来場者に「公開」することは、
大いなる信頼に繋がるでしょう。
工程に従って現場写真を展示するのも
「安心してください!
やってますよ!」(笑)という
証明にもなるし、
郡上八幡城の好感度は
さらにマシマシですね。
「令和5年4月29日(土)
AM10:00新装開城」のパンフと妻。
僕たちが訪問したのは、
この翌日の4月30日。
さすが
耐震工事直後だけあって?、
僕と妻の体重を
余裕で支えてくれました(笑)
2階、3階
1階の展示の内容が
かなり濃かったので、
2階以上は、写真を撮り忘れたり、
ちょっと気が抜けていたかも知れません(笑)
木造天守なので階段も木造(笑)
全ての窓が開放されていて、
清々しい空気が通り抜け、
実にありがたいです。
窓から見た下呂方面の景色。
川のそばには、
カブトガニみたいな建物が・・(笑)
何ともユニークなデザインですね!
海の生物、カブトガニを、
こんな山の中で見られる?なんて、
尚更ギャップ萌えですよ。
こちらは城門方面。
そして、
この階には郡上八幡城にまつわる
3つのお話が紹介されています。
「山内一豊の妻・千代」
駐車場に二人の像があり、
そこで詳しい案内を読んだので、
ここでは一言でまとめます。
「千代は郡上八幡城主、
遠藤盛数の娘である」
一言終わり(笑)
「郡上宝暦騒動」
「郡上一揆」
これを一文で表すと
「年貢の取り立て方を
厳しく変更することに
怒った百姓が、江戸に行ったり、
籠訴をしたりして、
幕府を巻き込む一揆に発展、
藩主は改易、幕府の役人も処分され、
一揆側も多くの刑死者を出した。
詮議掛を選任し評定所で審議されたのは、
江戸時代3200けんの百姓一揆の中で、
この宝暦騒動だけである。」
こうなります。
かなり長いかな?(笑)
「凌霜隊」
こちらの案内も
二の郭にあった石碑と同じなので、
簡単にまとめます。
「戊辰戦争で新政府側についた
郡上藩だったが、
幕府への忠義を貫いた武士が、
凌霜隊を結成し、
新政府側と戦い降伏。
その後、
謹慎が解かれた後も
反逆者として、
辛い人生を送ることになった。」
天守の南側に慰霊碑があるので、
後ほど参拝する予定です。
最上階
床をミシミシ鳴らしながら(笑)
天守最上階に到着。
最上階内部。
天井に梁があるので直接は拝めませんが、
「天井裏には八幡神社の御札が納まる」
このように書かれています。
天上の絵図は、
なかなか考えられていますね!
先ほどの「カブトガニ」は
青龍側です(笑)
南東側、
「激戦の地、赤谷山」
「赤谷山の戦い」
1階の展示で読みましたので、
ここも一言でまとめます。
「遠藤盛数は、
吉田川を挟んだ赤谷山城を攻略
東常慶を倒した。」
城門の先の山が赤谷山です。
もしも東常慶が勝利していたら、
郡上八幡城は、赤谷山の上に
建てられていたかも知れません。
「吉田川と古い街並み」
ここは窓からの写真は
撮り忘れたので無し(笑)
「大火から復興した城下町の街並み」
山内一豊と妻の像も
小ちゃく見えてます。
「堀越峠から和良、下呂方面」
やはりここからは
カブトガニが気になるな〜(笑)
この後、天守を出て、
凌霜隊の慰霊碑に向かいますが、
その前に・・・
天守前でツーショット(笑)
(続く)