2018/05/12

平泉寺白山神社(2017年福井の旅)中編

 

平泉寺から白山神社へ

平泉寺白山(へいせんじはくさん)神社は

江戸時代までは、平泉寺というお寺でした。

その後、明治初期の神仏分離令により

神社になったのです。

室町時代、一時期は

8000人もの僧兵を抱え、

お城のような境内を持ち、

大名のような位置付けだった

ここ平泉寺ですから、

僕が受けるイメージは、

神仏集合から「仏」が

切り離されたというよりも

「お寺80%」だったものを

「20%だった神社」として

リスタートを切ったというものです。

なんか説明が難しくなりすぎ(笑)

拝殿、本殿へ

参道を歩くだけで、

見どころが多く、

いくつも寄り道してしまい、

なかなか拝殿にたどり着かない

僕たちでしたが、

ようやく境内中心部に入る

大きな鳥居が見えてきました。

この荘厳な雰囲気、

全く別世界に来た感じがします。

日吉大社の山王鳥居に似ている

両部鳥居です。

礎石部分はコンクリ製なので、

比較的新しいのかも知れません。

鳥居をくぐりいよいよ拝殿へ。

なんだ〜この苔が凄過ぎる景色は!

こんなに素晴らしい苔を見たのは、

ここが初めてです。

苔、苔、コケ〜(笑)

感動して思わず、

動画も撮ってしまいました。

写真や動画では感動の

10分の一も伝えられませんね(汗)

神社や苔に興味がある方は、

是非、行って目で確かめてください!

拝殿が大きくなってきました。

木造の簡素な拝殿は、

森と苔に溶け込んでいるようで、

いきなり室町時代に

タイムスリップした気になります。

一向一揆に焼かれた以前の拝殿は、

正面四十五間という

大きなものだったそうです。

いつもは拝殿にて参拝…

という所ですが、ここは本殿に

直接参拝が出来る神社ですので、

そちらで、改めて参拝します。

「中宮平泉寺」と書かれた神額。

拝殿の形はお寺「お堂」のようだし

神額にも「寺」と書かれているし

やはりお寺80%は間違いないはず(笑)

ここで一度振り返ってみました。

石畳の参道の両脇は、一面苔です。

この光景も目に焼き付けておこう!

拝殿から石段を登ると

本殿が見えてきます。

本殿に直接参拝ひます。

ちょっと神様に近付き過ぎて、

なんだかムズムズします(笑)

本殿(御本社)は1795年造営。

ご祭神は伊奘冊尊(いざなみのみこと)。

夫のイザナミと国産みをした女神です。

彫刻も素晴らしい。

「白山妙理大権現」の神額。

何のことかと検索したら

「神社 神道」というサイトに

白山妙理大権現のことを

分かり易く書いてあありました。

その一部を引用します。

〜引用はじめ〜

修行に明け暮れていた泰澄は、

あるとき女神の示現にあい、

「私は白山妙理権現である。

私の真の姿が見たければ白山山頂に来たれ」

と告げられた。女神に導かれ、

ついに人跡未踏の山頂に到達した泰澄。

山頂近くの「転法輪の岩屋」にて

祈りを凝らすと、翠ヶ池から

火を吐きながら九頭竜があらわれた。

その姿に満足できなかった

泰澄がさらに祈ると、

龍はその身を変じ、女神の本地仏である

十二面観音が神々しい姿てあらわれた。

〜引用終わり〜

冒頭の泰澄(たいちょう)とは

平泉寺を起こしたお坊様の名前です。

この女神は伊奘冊尊の化身とも

言われているので、平泉寺白山神社は

伊奘冊尊を祭っているのでしょう。

それにしても

修行したお坊さんでも女神様には

ふら〜っと

行ってしまうのでしょうか?

いやいや、

大昔、白山の山頂に行くのは

命懸けだったでしょうから

そんな不謹慎なことは考えては

ダメですね(笑)

本殿への参拝が完了したら

境内社に向かいます。

境内社に行く前に

気になっていた苔むした

石垣を紹介します。

これが何だったのかは不明ですが、

室町時代末期に焼けてしまったご社殿の

礎石部分かも知れません。

越南知社。

大己貴尊(大国主命)がご祭神。

別山社。

ご祭神は天忍穂耳尊

(あめのおしほみみのみこと)。

境内社に参った僕たちは、

本殿に別れを告げ、

さらに奥地まで上っていきます。

 

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