日前神宮・國懸神宮(和歌山市)
読めない神社名でも・・
日前神宮は、
「ひのくまじんぐう」、
國懸神宮は、
「くにかかすじんぐう」と読みます。
最初は教えてもらわないと
まず読めない神社名ですが、
グーグル翻訳で日本語を英語にすると
Hinokuma Shrine
Kunikakasu Shrine
このように完璧な答えが出ます!
凄いぞグーグル翻訳(笑)
参道
一つの境内に2つの神社があるのが
日前神宮・國懸神宮の特徴です。
この神社では、
社叢の入口から先は撮影禁止。
従って、御社殿等の写真は、
ありません。
ちょっと残念でしたが、
参拝してみて、色んな意味で納得。
やはり足を運び現地に行くと
色々感じられるものですね(笑)
御由緒。
神社さんでいただいた
「御鎮座畧記」には
より詳しい案内があります。
畧記を現代語に訳し、
一部を抜粋、要約すると
次のようになります。
「天照大神が天岩戸に隠れた時、
石凝姥命(いしこりどめ)は
3つの鏡を作った。
一つは三種の神器となった
伊勢の神宮奉祀の八咫鏡で、
その他の2つが、日前神宮奉祀の
日像鏡(日前大神)、
國懸神宮奉祀の
日矛鏡(國懸大神)である。
戦国時代の戦火により
荒廃したが、明治四年、
官幣大社に列し、
大正八年国費をもって
境内建物の改善工事を施工、
大正十五年に完成した。」
また、「戦火」の部分を
Wikipediaで調べると、
「天正13年(1585年)に
豊臣秀吉に攻め込まれ、
社領が没収された。
その際社殿が取り壊され
境内が荒廃したが、
江戸時代に紀州藩初代藩主
徳川頼宣により社殿が再興された。」
このように書かれています。
ここは秀吉と対立していた
根来衆や雑賀衆と近い地域でもあり
その戦いの坩堝に
放り込まれたのでしょう・・・。
社号標。
石橋。
オシャレな形した常夜灯は、
文化五年(1808)の寄進。
対になる左側の常夜灯。
一の鳥居。
この日は七五三の人で賑わっていました。
ここから先が撮影禁止。
参道を突き当たって
右側に100mほど行くと、
國懸神宮、
左側に100mほど行くと、
日前神宮が鎮座しています。
御朱印
参拝前に社務所で
授与していただきました。
忘れない為、
ふりがなも一緒に撮影(笑)
今日の癒やし
参拝前に石橋の横で出会った
アオサギに癒やされました。
普通なら人の気配を感じれば、
飛んで逃げるのですが、
僕達が傍に近づいても
声をかけても、泰然自若(笑)
肝がすわったサギちゃんでした。