岡山の時鐘堂・奥山稲荷社

 

徳川吉宗の遺産

岡山の時鐘堂の案内によれば、

「徳川吉宗が

第五代紀州藩主であった時代、

正徳二年(1712)に

建立されたものである。

本堂は、当時本町五丁目にあった

時鐘屋敷の鐘と共に、

藩士の登城時や刻限を

城下に知らせたほか、

出火などの非常事態を知らせる

重要な施設であった。

建物は約6メートル四方の

二階建ての鐘楼で、

二階の大梁に梵鐘が吊り下げられている。

この鐘は、元和元年(1615)の

いわゆる大坂夏の陣で豊臣方が使用した

青銅製の大筒(大砲)を

徳川方が捕獲し、

紀州藩が保管していたものを、

後に粉河(こかわ)の

鋳物工人に命じて

梵鐘に鋳なおされたものと伝えている。

時鐘堂では、二人の番人によって

一刻毎につき鳴らされたと伝えられ、

明治以降も時を知らせ続けていたが、

大正十年(1921)の

時報廃止とともにその役目を終了した。」

このように書かれています。

後に、徳川幕府八代将軍となった吉宗さん、

万人にとって利便性が高いものを

ここに作っていたとは、

やはり、

将軍になるべきお人だったのでしょう。

俯瞰

和歌山城の天守からは、

岡山の時鐘堂・奥山稲荷社を

こんな感じで眺めることが出来ます。

時鐘堂は木々に隠れていますが、

稲荷社の赤い鳥居や御社殿は

良く分かりますね。

登口

岡山の時鐘堂と奥山稲荷社は、

不明門の目の前、

横断歩道を渡った先の丘にあります。

こちらは不明門(跡)。

現在は駐車場入口でもあり

僕達もこの奥に車を停めて

和歌山城を散策しました。

登口の案内。

冒頭に書いた内容が

ここに記されています。

稲荷社の参道=時鐘堂への道。

一の鳥居。

柱の下部の黒い部分が長く、

何かブーツっぽい感じ(笑)

参道正面にあるのが

身代わり地蔵。

瑞々しい生花が供えられ、

大切にされている感満載です。

まずは、お参り・・・

岡山の時鐘堂

そして、見えてきたのが、

岡山の時鐘堂です。

ここも稲荷社の参道と共用。

右手前には

「禁殺生」の石碑があります。

Wikipediaによれば、

「堂前にある「禁殺生」の石碑は、

初代藩主徳川頼宣が

儒学者李梅渓(1617年-1682年)に

命じて書かせたと云われている。」

このように書かれています。

正面。

左前から。

意外とあっさり見学終了(笑)

奥山稲荷社

時鐘堂横から

奥山稲荷社の拝殿に向かって

赤い鳥居が並んでいます。

稲荷社あるあるの風景(笑)

狛狐。

台座には「稲荷大明神」の文字が

刻まれていますので、

神仏習合の江戸時代に

寄進されたものでしょう。

吽形。

それにしてもこの二頭、

尻尾の先が超個性的です(笑)

拝殿にて参拝。

神額。

御祭神は五柱。

案内を要約すると

「御祭神は、

稲蒼魂命・照川大明神

葛葉大明神・幾田大明神

吉田大明神で、

紀州の藩祖、頼宣公が

駿河の国より国入りの際、

和歌山城の守り神として

当地にご御遷座申上げたと伝えられる」

このようになります。

ここはお城の南側なので、

鬼門封じではないようですね。

本殿。

覆屋タイプなので、

実際の本殿は見えません。

境内社。

境内社その2。

癒し猫

奥山稲荷社の参拝を終えて、

参道を歩いていると

猫が一匹見送ってくれました。

ちゃんとポーズも決めて、

カメラ目線をくれた猫ちゃん、

癒やされますな~(笑)

絶景

帰り道、思いがけず、

絶景に出くわしました。

紅葉もいい感じで、

不明門の石垣と和歌山城天守の

コントラストがたまりません!

テンション上がって

縦位置でも撮影。

目的は岡山の時鐘堂訪問と

奥山稲荷社の参拝でしたが、

最後は結局和歌山城で〆(笑)

もう一つの和歌山城

時鐘堂と奥山稲荷社前の歩道で、

ミニ和歌山城を発見!

石垣は切込み接ぎ(笑)

中には沢山の城兵がいるはず?

こちら、警察の管轄物のようですが、

和歌山県警さん、

楽しませてくれますな~!!

 

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